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最近、大きな注目を集めている「メタバース」の話題。インターネットの次に来るものと考えられ、サービス自体に参入するIT企業や、勝ち組を見定めて便乗する機会を狙う一般企業も増えてくると思われる。しかし、アップルはメタバースと距離を置く姿勢を見せており、一説には社内でメタバースという単語自体が禁句になっているともいわれている。アップルは、なぜメタバースの波に乗らないのか? その理由をメタバース推進派の思惑や周辺の状況から考察する。(テクニカルライター 大谷和利)

リモートの先にメタバースがある?

 新型コロナウイルス禍は、全世界的にネガティブなインパクトをもたらした。しかし同時に、その必要性や有用性が叫ばれながらも、なかなか進展しなかったリモートワークやリモート学習の環境を普及させたことは間違いない。

 もちろん、会社や業種によっては、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置の解除後に、ほぼ元の出社体制に戻ったというところもあり、知識だけでなく体験を重視する教育機関でも対面授業が復活している。だとしても、それまで皆無に近かったリモートワークやリモート学習のノウハウが蓄えられたことの意義は大きい。

 ただ、リモート環境を利用すればするほど、臨場感の欠如などが気になる人が増えていることも事実。端的な例としては、リアルな会議や授業では、常に周囲の同僚や学生の反応が肌感覚で得られるため、教師や話者の話す内容が自分も含めてその場の人間にどの程度理解されているかが雰囲気で分かるが、リモート環境では「ひょっとして理解できていないのは自分だけ?」と不安になるような現象を体験したことがある人は多いのではないか。

 これに対してメタバースは、現実を模したデジタルツイン的な環境を電子的な空間に構築し、自分の分身であるアバターとなって行動することにより、あたかも対面の会議や授業、そのほかのインタラクションを行っているかのように感じさせることを目指すものだ。このため、視界と体験の整合性を取るにはVRゴーグルのようなデバイスを介して利用することになるものの、概念としてのメタバースは、既存のコンピューター上で「出会う人がみんな実在の人物のように見え、訪ねる場所はすべて、あなたとまったく同じような人によって構築されている3次元の世界」となることを標榜したセカンドライフ(2003年に正式公開され現在もアクティブ)でも実現されていた。また、Nintendo Switch向けの「あつまれどうぶつの森」のようなゲームソフトも、ある種のメタバースと捉えることができる。

 いわば、リモートの先に、リモートでは足りない現実感をもたらす存在として考え出されたものがメタバースであり、デバイスや通信技術の進化に伴って、現在のリモート環境を置き換える可能性を秘めていると言える。