2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの神様Photo: Adobe Stock

人生は、「自分が書いてきたシナリオ」どおり

「生まれながらにして人生のシナリオが決まっているらしい」と、私自身が導かれたいくつかの証拠があるのですが、「アナグラム」(文字の並べ替え)もそのひとつです。

 たとえば、私の名前「こばやし・せいかん」は、音としては本名です。この8文字を並べ替えると「かんせいごはやし(完成後速し)」となります。私は、「完成したら、あとはひたすら速く走れ」と解釈しました。

「幸も不幸も存在しない。そう思う心があるだけ」といった新しい価値観が「完成」したら、「後ろを見ずに走れ」というメッセージとしてとらえたのです。

「氏名の中に、『使命』が隠されている」という事実に驚きましたが、それは、とりもなおさず、「生まれながらにして、人生のシナリオが決まっている」ということになるのではないでしょうか?

「私」が努力したり、頑張ったりすることで「使命」が決まるのではないようです。

「未来」は、はじめから決まっていて、そのとおりの出来事が起きるらしい。「どのような使命を背負って生まれるのか」も、「どのように死ぬのか」も「私」が決めてきたらしい。これが私の結論です。

 よく、「私のアナグラムを見つけてください」と言われるのですが、興味本位でやっても見つかりません。

 今「何かをやらされている」のなら、それらしい「文」が見つかるのですが、世のため、人のために貢献しておらず、自分の喜びや楽しみを追いかけている場合、あるいは、給料をもらうためだけに仕事に明け暮れている場合には、なかなか見つかりません。

 ただ、「氏名の中には、生まれながらの使命、役割があるらしい」ということだけはお伝えしておきます。

 偶然につけられた名前は、ひとつもありません。私たちは、一人ひとりがその家と親を選び、生まれ、親に「私の名」をつけさせたのです。

 私たちは、自分の意思で進む方向を決めていると思っていますが、選ぶ道は「生前に書いたシナリオどおり」らしいのです。

 このような話をすると「じゃあ、どちらを選んでも同じ結果になるのか」と質問されます。答えは、ノー。

「右を選べば盛岡、左を選べば新潟」のように、2つの電車があれば、どちらを選ぶかによって、行き先は変わります。ただ、「どちらを選ぶか」という選択は、あらかじめ決まっているらしい。

 まだ体験していない「未来」ではわかりにくいと思いますので、「過去」で考えてみます。過去の選択を考えてみると、ほとんど(あるいは、全部)が、「選択の余地がなかった」と言えるのではないでしょうか。

 私自身の例で言えば、父親から「家業を継がないなら、出て行け」と言われたので、「わかった。出て行く」と家を出ました。

 家を出た私は、アルバイトを探しましたが、日中は司法試験の勉強があったため、家にいてもできるアルバイトを探し、その結果、「旅に関する原稿を書く」ようになったのです。

 やがて、出版社の編集長から、「原稿を書いてほしい」と言われるようになり、旅行作家として旅をするうちに、行く先々で「人相を見てほしい、人生相談に乗ってほしい」と頼まれました。

 相談ごとは増えていきましたが、同じような相談内容が多かったため、私なりの答えをワープロで打って、コピーし、無料で配布するようにしたところ、そのコピーを本にしてくださる方があらわれた(坂本道雄さんは、私の本を出すために、わざわざ専用の「弘園社」という出版社をつくってくださいました)。

 そして、その本を読んだ方たちから「講演をしてほしい」「話を聞かせてほしい」と頼まれるようになったのです。

 私は、ただ、流され、動かされてきたのです。少なくとも私、小林正観の人生は、こう言い切ることができます。

「私の人生に、選択肢はなかった。それしか選べなかったし、必ずそうなるようになっていた」

 過去のすべてがそうであるなら、これからの「未来」も、おそらく、選択肢はないでしょう。

 すべて「そのようにしか、選べない」のです。どれほど慎重に考えて選んだところで、その選択の結果は「シナリオどおり」らしいのです。

 みなさんが「この文章」を読んだ結果、「今までと違う生き方をしよう」と決めたとします。さんざん怒鳴っていた人が怒鳴らなくなったら、まわりの人は「あの人は変わった」と思うでしょう。けれどそれも、シナリオどおりです。

 その人に出会うようになっていた。その話を聞くようになっていた。

 偶然に「その人」に会ったり、その文章に出合ったりしているわけではありません。みなさんが、今、この本を読んでいるのも、すべて「自分が書いたシナリオどおり」。

 どうも、人生は、そうなっているらしいのです。