なぜ、いつも不安なんだろう? なぜ、人と比べてしまうんだろう?
SNSをひらけば、だれかの幸せそうなようすが映し出される。それに比べて、自分はなんてちっぽけな存在なんだろうと落ち込む。
現代は、こうしたワナにあふれている。それらにとらわれず、世の中のさまざまなしがらみから抜け出して「幸せな人生」を歩むために必要なものはなんだろう?
それは、「自信」だ。『幸せな自信の育て方 フランスの高校生が熱狂する「自分を好きになる」授業』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)では、フランスの高校生から大絶賛される哲学教師が、「本当の自信の育て方」を教えてくれる。本書からその一部を特別に紹介しよう。(初出:2022年7月31日)
「決断できない人」に足りないもの
私たちは、気持ちが揺れ動き、なかなか決断を下せないとき、その理由を情報や知識が不足していることだと考えがちだ。
だがたいていの場合、不足しているのは自信なのだ。
「決断」とは「不確実性」と向き合うこと
決断するということは、「何が起こるかわからない」という不確実性と向き合うことであり、不安があるのは承知のうえで、それでも前進すると決意することだ。
確実な判断材料がないことを、自分の心の声を聞く能力で補い、とにかく前進すると腹をくくる。それは、自信を持つことにほかならない。
もちろん、こんなふうに自分を信じるのは簡単ではない。決断をすれば、重荷を背負い、予測できない結果に対処しなければならなくなる。
しかし、それはどんな決断にもつきものだ。決断とは、十分な根拠のない状況の中で、何かを選ぶことだからだ。でたらめに選ぶわけではないが、絶対的な答えがあるわけでもない。この難しさこそが、人生の本質だ。
人間は自由な存在であり、プログラムされた通りに動く機械ではない。だから私たちは、不確実性を受け入れなければならない。しかも、不確実性をただ受け入れるだけではなく、それを歓迎しなければならない。
私たちは、リスクを受け入れるほど効果的な決断ができるようになり、決断を楽しめるようになる。リスクはどんなに減らしたとしても、ゼロにはできない。リスクを受け入れられなければ、決断はできないし、決断しても不安を抱えたままになってしまう。それは、悪い決断だ。
「選択」と「決断」の違い
人生では常に、「どちらかを取り、どちらかを捨てる」ことが求められる。
転職や移住をしたり、人生の方向性を変えたりするときに、いつが最適なタイミングなのかは、誰にもはっきりとはわからない。
それでも、誰も自分の代わりに決断はしてくれない。決断すべきとき、それをするのは自分しかいない。だから決断力を発揮できなければ、人生は迷いの連続になる。自信も、指のあいだからすり抜けていってしまうことになる。
そう、私たちは決断を下す難しい技術をマスターしない限り、自信を持つことはできないのだ。
ここで役立つのが哲学だ。哲学は、私たちが混同しがちな「選択」と「決断」を区別する方法を明らかにしてくれる。
この2つの言葉は同じ意味で使われることがあるが、実際には明確な違いがある。
選択とは、不確実性を限りなくゼロに近づけた後で、正しいと思われる答えを論理的かつ合理的に選ぶことだ。
たとえば、休暇先の候補として2つの目的地を検討しているとしよう。客観的に判断して、片方がもう一方より休暇を過ごす場所として魅力があり、予算も同程度なら、私たちはそちらを選ぶだろう。そのとき、自分の判断を信じる必要はない。必要なのは、論理的に考えることだけだ。
しかし、2つの目的地にそれぞれ独自の魅力があり、どちらか一方を選ぶ客観的な基準がない場合、私たちは決断をしなければならない。
選択とは、合理的な基準に従って行動することだ。決断とは、合理的な基準のない状況下で、自分の裁量で何かを選ぶことだ。すなわち、選択とは行動する前に知ることであり、決断とは知る前に行動することだ。
したがって、決断するときは、選択するときよりも自由度が大きい。議論の余地のない基準に、従う義務がないからだ。
[本記事は『幸せな自信の育て方』(シャルル・ぺパン著、児島修訳)を抜粋、編集して掲載しています]