わたしたちがいま生きているのは「ストレス社会」とも呼ばれる、精神的に疲労が溜まりやすい時代だ。気持ちが沈みがちな人も多いのではないだろうか。
人間関係や仕事、お金や健康など、悩みの種を挙げはじめたらきりがないが、むやみにストレスを溜め込んでしまうと心身に不調をきたしてしまう。
そこで、精神的不安を軽減するために参考になるのが、仏教の視点から人生の様々なストレスや悩みへの対処法を語るYouTubeチャンネルが人気の、現役僧侶・大愚元勝の初の著書『苦しみの手放し方』(ダイヤモンド社刊)だ。SNSでは「心が洗われた」「人生の歩み方を学んだ」といった感想が相次いでいる。
本稿では、本書より一部を抜粋・編集し、どんなことが起きても動じない「鋼のメンタル」を身につけるために必要な考え方をご紹介する。(構成/根本隼 初出:2022年5月1日)

何が起きても動じない「鋼のメンタル」を身につける方法とは?【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

悔しさや悲しさを感じてしまう理由

 悪口、非難、中傷を浴びせられたとき、悔しい気持ちや悲しい気持ちになることがあります。悔しさや悲しさを覚えるのは、「相手の言っていることを受け入れ、それに反論したい」と思うからです。

 お釈迦様が、「ラージャグリハ」(古代インド、マガダ国の首都)で説法をしていたときのことです。バラモン教の若い僧侶から、いわれのない非難、中傷、悪口を投げかけられたことがあります。

 その僧侶は、多くの人々から尊敬を集めているお釈迦様を妬ましく思っていました。そして、一計を案じた。「罵詈雑言を浴びせれば、腹を立てて罵詈雑言を返してくるに違いない。そうすれば、お釈迦様を尊敬している人々も見捨てて去っていくだろう」

 凡人であれば、「売り言葉に買い言葉」で、言い返してしまうところです。あるいは、相手の言葉に傷つき、落ち込んだりするかもしれません。

的外れな非難中傷は受け取らない

 しかし、お釈迦様は、「許せない」と憤ったり、「悲しい」と傷つくこともなく、ただ、心静かに聞いているだけでした。そして、その僧侶から、「どうして腹を立てないのだ」と問われたとき、お釈迦様はこうおっしゃいました。

「バラモンよ、あなたのところに客がやって来て、その客に食べ物を出したとする。客が食事をしなければ、残された食べ物は誰のものになるか? 食べ物はあなたのものになる。それと同じように、私は、あなたが差し出した悪口は受け取らない。だから、その悪口はあなたのものだ。持って帰るがいい」

 お釈迦様は、「ひとつの岩の塊が風に揺らがないように、賢者は非難と賞賛に動じない」とおっしゃっています。お釈迦様が「動じない」のは、的外れな非難中傷を「受け取らない」からです。受け取らなければ、苛立つこともなくなります。
(参照:『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元・訳/岩波文庫)

相手を打ち負かすのではなく「聞き流す」

 自分に悪口を言っている相手に、同じ言葉を返す必要はありません。怒りに対して、怒りをもって報いるのは、火に油を注ぐだけです。言い争いは、お互いに憎しみの気持ちを大きくします。

 打ち負かすのではなく、聞き流す。的外れな誹謗中傷なら、受け取らない。それが「非難や悪口に動じない」ための妙諦(すぐれた真理)です。
(本稿は、『苦しみの手放し方』より一部を抜粋・編集したものです)