イギリスの数学者アラン・チューリングは1950年の論文で、人間の判定者が別室に置かれた機械と会話し、相手を人間だと判定した(少なくとも人間か機械か判別できなかった)ときに、その機械は人間と同等の「知能」を持っているとする「チューリング・テスト」を提案した。

 このテストは、コンピュータと人間に同じ質問をして、それがどちらの回答かを人間が判定できるかという方法でも行なえる。これはコンピュータが人間を模倣することから「イミテーション(模倣)ゲーム」と呼ばれ、チューリングの悲劇的な生涯(第二次世界大戦でドイツの暗号エニグマを解読するという大きな貢献をしながらも、戦後は同性愛者として逮捕され、ホルモン治療による「化学的去勢」に苦しみ41歳で自殺した)を描いた映画のタイトルにも使われた。

 米企業Open AIが開発し、Microsoftのブラウザに搭載されたChat GPTが世界中で大きな衝撃を与えたのは、コンピュータがついにチューチングテストを突破したのではないかと考えられたからだ。

 アメリカでChat GPTと医師に同じ質問をしたところ、「情報の質の高さは3.6倍、共感力は約10倍」とAIが「圧勝」したとの調査がある。AIは最新の論文まで検索・学習できるだけでなく、多忙な医師に比べて膨大な資源(リソース)を持っているので、「それはとてもお気の毒でしたね」などのいたわりの言葉から始めることができるのだ。

 同様の理由から、オンラインでセラピストに相談するときも、中立的・客観的な立場からアドバイスし、共感やいたわりを示してくれるAIの方がすぐれているとの意見も増えてきた。人間のセラピストは、自分勝手な思い込みから役に立たない(あるいは有害な)アドバイスをしたり、自らの低い自尊心を引き上げるために相談者にマウンティングすることがあるからだろう。

 Chat GPTについては、「間違いをさも正しいかのように言い繕う」などの限界も指摘されており、それがフェイクニュースの温床になる(人間は相手が自信たっぷりに断定すると、それが正しいと思ってしまう)との警鐘も鳴らされているが、より多くのデータを学習すればこうした“バグ”も解消され、ますます人間に近づいていくことは間違いない。

 そうするとわたしたちは、すくなくともヴァーチャル空間では、相手が人間なのか機械なのかがわからない(あるいは気にしない)世界に暮らすことになるだろう。このようにして、「現実(リアル)」が融解していく。これが、AIに対する不安の根源にあるのだろう。

Chat GPTなどテクノロジーの進化で「現実(リアル)」が融解していく。バーチャル世界で「良き生」を送ることができるのか?Photo :Graphs / PIXTA(ピクスタ)

私たちが今生きている世界はバーチャル世界かもしれない

 オーストラリアの哲学者デイヴィッド・J・チャーマーズは『リアリティ+(プラス) バーチャル世界をめぐる哲学の挑戦』(高橋則明訳、NHK出版)で、テクノロジーが現実への認識をどのように変えるかを論じている。

 プラトンの洞窟の比喩(洞窟の奥の壁しか見ることができないひとは、壁に映し出された影を実体=現実と認識する)や荘子の胡蝶の夢(自分は蝶になって飛んでいる夢を見たのか、それとも自分は蝶が見ている夢なのか)など、古来、現実が不確実で揺らいでいることは繰り返し議論されてきた。

 西洋哲学の伝統では、「現実は客観的に存在する」との立場を「リアリズム(realism)」と呼び、「すべては観念(イデア)が生み出したものに過ぎない」という「イデアリズム(idealism)」と対置された。だが日本語の「リアリズム(現実主義)」には哲学的な含意がないため、これは「実在論」と訳されてきた。紛らわしいが、「実在」とは「現実」すなわち「リアリティ(reality)」のことだ。

 チャーマーズは『リアリティ+』で、テクノロジーによって現実が模倣・拡張・創造されたVR(ヴァーチャルリアリティ)は、果たしてリアル(実在)なのかという問いを論じている。上下巻で600ページを超える大著だが、冒頭でチャーマーズは、自らの主張を以下のように簡潔にまとめている。

1.バーチャル世界は錯覚でも虚構でもないし、少なくともそうである必要はない。VRの中で起きることは現実に起きている。私たちがVRで相互作用している事物はリアルなのだ。
2.原則としてバーチャル世界での生活はバーチャルの外、つまり現実世界の生活と同じくらいよいものになりうる。バーチャル世界で意義のある生活を送ることができる。
3.私たちが今生きている世界はバーチャル世界かもしれない。断言はできないが、その可能性は排除できない。

 ヴァーチャル(仮想世界)で真っ先に思い浮かぶのが『マトリックス』で、この映画の設定では「実在」としての人間がいて、その脳から機械が支配する電脳空間に意識が送られていた。だが「赤い薬」を飲むと意識は「錯覚」から覚めて「真実」に気づき、「人間性」を取り戻すために反乱を企てるのだ。「生物学的生き物が空間的な意味でシミュレーションの外にいて、シミュレーションと接続されている」というこのケースは、「バイオシム(非純正シム)」と呼ばれる。

 チャーマーズの『リアリティ+』は、それよりも2021年の映画『フリー・ガイ』(監督ショーン・レヴィ、主演ライアン・レイノルズ)に近い。この作品では、ゲーム上のヴァーチャル世界「フリー・シティ」で、プレイヤーは「サングラス族」となって銀行強盗や大量殺人、破壊行為など好きなことができる。

「フリー・シティ」では、多くのNPC(ノンプレイヤー・キャラクター)は決まりきった日々を繰り返し、撃たれたり殺されたりしている。ところがNPCの一人で銀行員のガイは、ある日、サングラス族の女性を見かけたことをきっかけに「意識」を持ち、自らの意思で行動するようになっていく。

 ガイのようなNPCは「モブキャラ」と呼ばれるが、チャーマーズは「シム人間(シミュレーション世界の人間)」と呼んでいる。『マトリックス』のネオがバイオシムなのに対し、『フリー・ガイ』のガイは「純正シム」だ。純正シムは外部の実体を持たず、脳を直接シミュレートされている。

 チャーマーズが本書で読者を説得しようとしているのは、(意識をもった)シム人間はわたしたちとなんのちがいもないし、そればかりか、わたしたち自身がなんらかのヴァーチャル世界のシム人間なのかもしれない、ということだ。

「シミュレーションは錯覚ではない。バーチャル世界はリアルだ。バーチャルの事物は真に存在する」とチャーマーズはいう。そればかりか、宇宙の140億年の歴史とそこに存在するであろう知的生命体の数を考えれば(あるいは、多元宇宙理論ではこの宇宙も無数の宇宙の一つかもしれない)、知的生命体が膨大な数のシム宇宙をつくるだろうから、統計的には、わたしたちは「VRの中でリアルなバーチャル事物を経験している」シム人間である可能性のほうが高いことになる。――「シミュレーション技術は広く普及するので、宇宙にいるほとんどの活動体(あるいは人類と似た経験をした活動体のほとんど)がシムになっている。それならば私たちもシムだろう」とチャーマーズは述べる。