「幸福」を3つの資本をもとに定義した前著『幸福の「資本」論』からパワーアップ。3つの資本に“合理性”の横軸を加味して、人生の成功について追求した橘玲氏の最新刊『シンプルで合理的な人生設計』が話題だ。“自由に生きるためには人生の土台を合理的に設計せよ”と語る著者・橘玲氏の人生設計論の一部をご紹介しよう!

「ゼロで死ね」は正しいのか?

 貨幣の限界効用が逓減することを前提にしても、「もっとも確実に幸福になる方法はお金持ちになることだ」と述べた。そのためには、堅実な貯蓄と効果的な投資(資産運用)が必須になる。金融資産は複利で増えていき、その効果は運用期間が長ければ長いほど大きくなるからだ。

 これがファイナンス理論の標準的な説明だが、それに異を唱えたのがヘッジファンド・マネージャーのビル・パーキンスで、「DIE WITH ZERO(貯蓄)ゼロで死ね」との提言が大きな反響を呼んだ。だがパーキンスの本を読んでみると、それほど過激な主張をしているわけではない。それはおおよそ、次の3つにまとめられるだろう。

① 若いときは(わずかな)貯蓄よりも体験を優先すべきだ。
② 子どもには遺産を分け与えるのではなく、必要としているときに生前贈与する。
③ 老後のためのじゅうぶんな備えをしたうえで、それ以上の資産は自分や家族の楽しみに使うか、寄付などで使い切ってしまおう。

 脳の基本設定(OS)によって資産がもたらす幸福度は、最初は急激に上がっていき、やがて平坦になる(限界効用が逓減する)。

 資産1億円までは実際の資産の額よりも心理的な効用(幸福度)の方が大きい。すなわち、お金によって幸福になれる。ここまではすでに説明したが、それ以上に資産が増えていったらどうなるだろうか

 パーキンスは、この部分のお金は人生にとってなんの意味もないのだから、「ゼロ」にするのが合理的だと述べた。これが正しいかどうかはあとで検討するとして、まずは「若いときは貯蓄より体験を優先すべきだ」という主張を見ておこう。

体験と蓄財のトレードオフ

 さまざまな調査で、モノを買うよりも体験に使った方が長期的には幸福度が高まることがわかっている。ブランドものを手に入れた喜びは1週間もたてば消えてしまうが(だからまた欲しくなる)、はじめてのデートやはじめての海外旅行・留学の楽しい思い出はいくつになっても思い出すし、そのたびに満ち足りた気持ちになるだろう。

 パーキンスはここから「お金は貯蓄より体験(思い出づくり)に使え」と述べる。その理由は、年齢によって体験できることが異なるからだ。その例に挙げられるのが、20代前半で借金をしてバックパック旅行に出かけたルームメイトで、同じような体験は40~50代はもちろん30代でもできないという。

「ゼロで死ね」は正しいのか?Photo:cba / PIXTA(ピクスタ)

 同様の「若者の特権」は、泊まり込みで音楽フェスに行く、クラブで朝まで踊り明かす、あるいは政治活動や宗教(スピリチュアル運動)、コミューンなどに参加してみる、などいろいろ考えられるだろう。共通するのは、10代後半や20代前半なら「若者らしい」として許され、場合によっては高く評価されることもあるが、中高年になっても同じことをしていると「落ちこぼれ(ドロップアウト)」とか「負け組」などと呼ばれ、社会的に排除されてしまうことだ。

 子どもから大人へと変わる思春期はすべてのひとにとって大切な時期だ。青春時代のはじめての体験は強く記憶に刻み込まれ、(成長の早い)女性は17~18歳、男性は22~24歳頃の出来事を何歳になっても思い出すという(「レミニセンス・バンプ=回想の突起」と呼ばれる)。そんな大事な時期に、わずかな貯蓄のために楽しみを我慢するなんてバカらしいというパーキンスの主張はもっともだ。

 だがそれと同時に、パーキンスは「老後のための備えをしなければならない」とも述べていて、ここで体験と蓄財のトレードオフが生じる。これについての私の意見は、「収入が少ないときは、わずかな金額の貯蓄をするより体験(思い出)に投資した方がコスパが高い」になる。本格的な資産形成は、収入が増えて生活が安定してからすればいいのだ。

 私はかつて、定年後に東南アジアに移住した日本人に話を聞いたことがあるが、誰もが口を揃えて「もっと早くやっておけばよかった」といっていた。パーキンスも、楽しみを老後にとっておくのではなく、いますぐ思い出づくりをすべきだという。

 だがこれは、アーリーリタイアメント(早期退職)を目指せということではない。かつては会社に滅私奉公するか、すべてをなげうつかの二者択一しかなかった。だが現在では、テクノロジーによって、仕事と自由な人生を両立できるようになってきた。リモートワークを利用して、働きながら田舎暮らしや海外での生活をするひとはたくさんいる。

 このように見てみると、パーキンスが意外に常識的なことをいっていることがわかる。日本人の貯蓄動向の調査でも、20代では大半が貯蓄ゼロか、ほとんど貯蓄がないが、30代になると貯蓄をする者としない者へと分かれていき、その格差は40代、50代と年齢が上がるにつれて広がっていく。そもそも20代で必死になってお金を貯めようとするのは少数派で、ほとんどのひとは稼いだお金を楽しみ(あるいは生活)のために使っているのだ。―借金してまで思い出づくりをするべきかどうかは意見が分かれるだろう。