「幸福」を3つの資本をもとに定義した前著『幸福の「資本」論』からパワーアップ。3つの資本に“合理性”の横軸を加味して、人生の成功について追求した橘玲氏の最新刊『シンプルで合理的な人生設計』が話題だ。“自由に生きるためには人生の土台を合理的に設計せよ”と語る著者・橘玲氏の人生設計論の一部をご紹介しよう!
メリトクラシーと絶望死
わたしたちが生きているリベラルな知識社会では、人的資本は「学歴・資格」「業績」「経験」の3つによって評価される。これがメリトクラシー(メリットによる政治・社会制度)で、1958年にこの言葉をつくったイギリスの社会学者マイケル・ヤングは「M=I+E」と定義した。メリット(M)とは、知能(インテリジェンス:I)に努力(エフォート:E)を加えたものなのだ。
ところがその後、メリットを構成するこの2つの要素のうち、「知能」が隠されて「努力」が前面に出されるようになる。
リベラルな社会では、人種、国籍、身分、性別、性的指向など、本人の意思ではどうしようもない「属性」による評価が禁じられ、この規範に反すると「差別」として批判(キャンセル)の対象になる。
しかしそうはいっても、組織を運営する以上、誰を採用するか、誰を昇進・昇給させるかを決めなくてはならない。評価の基準からあらゆる属性を排除すれば、残るのは「努力」によって獲得できるものだけだ。
ところが「知能」については、どんなリベラルも、教育によっていくらでも向上するとはいえない。明らかに遺伝的要因があるからだが、そうなると知能も(努力ではどうにもならない)属性に含まれてしまう。これはきわめて都合が悪いので、知能を「学歴」で代用し、努力によって獲得できるという“神話”が成立したのだ。
もちろんこれが事実ではないことは、教育関係者も含め誰でも知っている。しかしこの虚構がリベラルな知識社会を支える土台になっているため、「言ってはいけない」ことにされている。
日本は「学歴社会」だといわれるが、よりリベラルな知識社会であるアメリカでは学歴による収入の差がずっと大きい。アメリカは1960年代の公民権運動以降、人種や性別で差別したと訴えられると企業は巨額の懲罰的損害賠償を科せられる。それを避けるためにメリトクラシーがより徹底され、メリット以外の評価はいっさい許されなくなった(このためアメリカの履歴書には生年月日を記載する欄や顔写真を貼る欄がない)。
アメリカでは、非大卒に対する大卒の収入プレミアムは70~100%(2倍)にも達している(日本は30%程度)。その結果、高卒の白人労働者層が仕事を奪われて社会から排除され、ドラッグ(鎮痛剤)、アルコール、自殺の「絶望死」が広がるとともに、トランプの熱烈な支持層になった。
日本はこれほどではないものの、それでも学歴(大卒/非大卒)によって社会に分断線が引かれていることが、社会学者による大規模な調査で明らかになっている。
こうした事実が広く知られるようになったことで、いまではリベラルな教育者ですら、「教育で社会の分断を解決できる」とはいわなくなった。現実には、教育は社会の分断をなくすよりも分断をさらに大きくしているのだ。