ヘミングウェイも非難した
モデルとなる登場人物の入れ替わり
この本のほんとうに困ったところとは、英文科の学生ならだれでも知っているのだが、ディック・ダイヴァーのモデルにはじめはジェラルド・マーフィという名前の友人をつかっておきながら、それを途中からスコット・フィッツジェラルド自身に変えてしまったことだ。また、ヒロインのニコル・ダイヴァーにも少々同じような仕打ちを加えていて、体つきや癖はジェラルドの妻のセーラ・マーフィから拝借しているものの、その他はすべて、ゼルダ・フィッツジェラルドなのである。
この二重の変身は、当時から、フィッツジェラルド夫妻とマーフィ夫妻の友人たちには一目瞭然だった。アーネスト・ヘミングウェイはこの本について辛辣な手紙をフィッツジェラルドに送り、素材をもてあそぶな、と非難した。マーフィ夫妻で話をはじめておきながら途中からべつな人間に変えたりして、そうすることできみは人間を書かずに、もっともらしいインチキの調書をでっちあげたのだよ。ヘミングウェイはそう言った。
小説を読んだジェラルド・マーフィもおなじことを指摘したが、フィッツジェラルドの返事にはあやうく卒倒しそうになった。フィッツジェラルドはこう言ったのだった。
「あの本はセーラときみ、きみたちふたりにたいするぼくの気持ち、それからきみたちの生き方からインスピレーションをもらった。最後のほうはぼくとゼルダのことになったが、しかたないよ、きみたちとぼくたちはそっくりなんだから」。
この驚くべき発言に、セーラ・マーフィは長らく抱いてきた確信をさらにつよめたものだ。フィッツジェラルドにはやっぱり人間のこともわたしたち夫婦のこともまるで分かっちゃいない、と。