歴史小説の主人公は、過去の歴史を案内してくれる水先案内人のようなもの。面白い・好きな案内人を見つけられれば、歴史の世界にどっぷりつかり、そこから人生に必要なさまざまなものを吸収できる。水先案内人が魅力的かどうかは、歴史小説家の腕次第。つまり、自分にあった作家の作品を読むことが、歴史から教養を身につける最良の手段といえる。
直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、歴史小説マニアの視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
歴史小説の舞台をたどり歩くワクワク感
【前回】からの続き 家族で旅行するだけでなく、休日に1人で電車に乗り、山城(やまじろ)を目指すようなことも始めました。
たとえば、奈良県には戦国時代に松永久秀という武将が本拠地とした信貴山城(しぎさんじょう)の城跡があります。
小説を通して知った歴史の舞台を歩くのは、なんともワクワクする体験でした。
読む本がなくなる焦燥感
歴史小説からスタートして歴史が好きになり、城や史跡が好きになり、物語も好きになることができました。小説家を目指したのも、あのとき『真田太平記』と出会ったからです。
中学生の頃、あまりに歴史小説を読みすぎて、ふとこんな不安が頭を過ぎりました。
「このままのペースでいったら、読む本がなくなってしまうかも……」
現実にはそんなはずがないのですが、どうしても焦燥感が拭えませんでした。
将来の夢は小説家
当時、追いかけている作家が何人かいたのですが、自分が読むスピードに比べると、新刊が発表されるペースはあまりに緩慢に感じられたのです。
そうこうするうちに、愛読していた高齢の先生方が、1人また1人と他界していきます。切羽詰まった挙げ句、出し抜けに思いついたのが「それなら自分が書こう」というアイデアでした。
「小説を書きたい」という想いは、日ごとに募っていき、高校生の卒業アルバムの「将来の夢」の欄に「小説家」と書くまでになっていました。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。