このように口にしている人は素直な驚きを表現しているのだろう。どんなにうれしかったか、どんなに素晴らしかったか、どんなに火の勢いが強かったかを語っているのだろう。だから、親しい友だち同士の内輪の場でこのような言葉を使って、相手との距離を縮めたり、親しさを増したりするために使うのは、いっこうかまわない。
しかし、会社内、あるいは見知らぬ人の前でこのような言葉を使うと、その知性を疑われる。
まず、「めっちゃ」という言葉そのものが語彙の貧困さを示すものでしかない。「これまで見た花と違って、紫の色合いがきれい」「そんなことされると思っていなかったのでうれしいです」「火がすごい勢いで噴き上がっていました」などと言ってこそ、聞いている者に状況が目に浮かぶし、しっかりした語彙で語っていることがわかってもらえる。ところが、すべて「めっちゃ」という、かつてはマイナス面を語るときに使われていたこの言葉で済まそうとする。語彙の貧困というほかない。
しかも、この「めっちゃ」「めちゃくちゃ」という言葉は、それを使った時点で、その後に告げられる表現の語彙の質の低さまでもがわかってしまうという点でも要注意だ。
「めっちゃ」の後にはありきたりの表現しか表れないだろう。「めっちゃ厳粛な雰囲気の仏像だ」などと語る人はめったにいないだろう。必然的に、「めっちゃすごい」「めっちゃ面白い」「めっちゃいい」「めっちゃ走る」などの表現になってしまう。
そもそも、「めっちゃ」「めちゃくちゃ」は、貧困な語彙であるにもかかわらず、その威力を強めようとして強調する用法にほかならない。言い換えれば、「めっちゃ」「めちゃくちゃ」というのは、かつてはやった「超」と同じように、「私は語彙が貧困です」と宣言しているようなものなのだ。
「めっちゃ」「めちゃくちゃ」と言いそうになったら、もっと他の、より状況の伝わる言葉はないかを頭の中の辞書をくってみることをすすめる。そうしてこそ、大人であることを示すことができる。
「みんな言ってます」は根拠のなさをごまかす言葉
打ち解けた会議や雑談で、誰もがつい言ってしまう言葉の一つが、「みんな言ってます」だ。
こう言えば、自分の主張が通りやすくなると思ってのことだろう。いまの潮流が、どうなっているかを言いたいかもしれない。本人はうまく言ったつもりかもしれないが、これは空回りに終わりやすい。