大学でも、オープンキャンバスで「させていただく」が氾濫していた。集まった高校生相手に大学教授が「教授をさせていただいています」と自己紹介をするのだ。一人が言い出せば、次に自己紹介する教授も倣わざるを得ない。教授たちが高校生相手に「教授をさせていただいています」と次々に言う光景は異様ですらあった。

「~させていただく」は、一見すると丁寧な物言いだ。そこから「とりあえずこの言葉を使っておけば無難」と多くの人が口にすることにもなる。だが逆に言えば「こう言えば文句ないだろう」という慇懃無礼な言葉でもある。

 ある意味、「みなさまのおかげです」「お客様は神様です」の延長線だ。本心では思っていないのに、「とりあえず相手を立てておけば大丈夫」という生意気ささえ感じる。「あなたを教授にしたのは私ではない」という反発すら感じさせる言葉だ。

 もちろん、場合によっては「~させていただく」が適切な場合もある。パーティに招待された「出席させていただきます」は正しい使い方だ。だが使いすぎは滑稽で、回りくどい言い方に周囲をイライラさせることにもなる。わずか3分ほどのスピーチで、何度も「~させていただく」を言うのは多すぎる。

「~させていただく」を使う人がこれほど増えたのは、ネットの影響も大きいだろう。ネット社会では、ちょっとした言動がすぐ炎上につながる。たとえば俳優が記者会見で「主役の織田信長を演じます」と言えば、「いったい誰のおかげで主役になれたのだ」「監督や配給元、プロデューサーなどへの感謝はないのか」といった書き込みが殺到しかねない。一度叩かれると、過去の言動にまで遡ってあれこれ叩かれることにもなる。

 それが怖いから「演じさせていただきます」と過剰にへりくだることにもなるのだ。その意味ではネット社会から生まれた日本語とも言えるが、知的でないことは間違いない。