まず、「みんな」という言い方があいまいで、大げさでもある。しかも、本人の錯覚が混じっていることも多い。「みんな」と言っても、誰がそう言っていたかは記憶にない。じつは一人か二人しか言っていない気もする。あるいは、自分しか言ったことがなかったかもしれない。それでも、自分の話を補強するために、つい「みんな言ってます」と言ってしまうのだ。

 たしかに、言われたほうは、一瞬ぐらつく。「自分はそんなに世事に疎かったのか」と思って、うまく丸め込まれる人もいるだろう。

 だが、健全な常識のある人は、すぐに疑いはじめる。「みんなの言っている」ことが、どれだけ世間に浸透しているかは、自分の実感から推測もできる。実感がなければ、「みんな言っている」が本当かどうか、怪しく思えてくる。「みんなって、どれくらいの多数のことを言うのだろう」「具体的には、誰だろう」と思いはじめると、もう「みんな言ってます」に信憑性はなくなる。

 ここで、言われたほうが「みんなって誰のこと?」と問い返したときだ。「いや、みんなって、誰のことだったっけなあ」「僕の友人、みんなだよ」くらいにしか答えられないと、恥をかくことにもなる。

 このあたり、子どもの決まり文句を思い出す人もいるだろう。子どもが親に何かをねだるとき、持ち出してくる言葉が「みんな」だ。「みんな、スマホを持ってるよ」「みんな、このゲームをやってるよ」と言ってくる。「だから買って」というわけだが、親にはそれが水増しや、でっちあげであることがすぐわかる。

 大人の「みんな言ってます」も、子どものおねだりと同じ次元でしかなく、恥をかくことになりやすいのだ。

「みんな言ってます」はつい言いたくなる言葉だが、ここは言い換えを考える。「○○課長が言ってました」「評論家の××がそんなことを言ってました」と言うなら、説得の材料として認めてもらえる。また、普段から根拠のなさを「みんな」でごまかさず、「~という理由です」と言う習慣をつけると、言葉に説得力が生まれ、知的に見られるようになる。

「~させていただく」の多用とネット社会の相関関係

 世の中に氾濫している、バカに見える日本語の代表格が「~させていただく」だ。テレビでも俳優が「○○役を演じさせていただいている、△△です」と自己紹介したり、大学教授が「このたび○○という本を出させていただいて……」などと新刊の宣伝をしたりする光景をよく見かける。

 同じようにビジネスマンも「係長をさせていただいています」と口にしたり、「入社させていただいて」「お送りさせていただきます」などと、「させていただく」が日本中で氾濫している。