哲人 ここは注意が必要です。アドラー心理学は、放任主義を推奨するものではありません。放任とは、子どもがなにをしているのか知らない、知ろうともしない、という態度です。そうではなく、子どもがなにをしているのか知った上で、見守ること。勉強についていえば、それが本人の課題であることを伝え、もしも本人が勉強したいと思ったときにはいつでも援助をする用意があることを伝えておく。けれども、子どもの課題に土足で踏み込むことはしない。頼まれもしないのに、あれこれ口出ししてはいけないのです。
青年 それは親子関係にかぎったことではなく?
哲人 もちろんです。たとえば、アドラー心理学のカウンセリングでは、相談者が変わるか変わらないかは、カウンセラーの課題ではないと考えます。
青年 なんですって?
哲人 カウンセリングを受けた結果、相談者がどのような決心を下すのか。ライフスタイルを変えるのか、それとも変えないのか。これは相談者本人の課題であり、カウンセラーはそこに介入できないのです。
青年 いやいや、そんな無責任な態度が許されますか!
哲人 無論、精いっぱいの援助はします。しかし、その先にまでは踏み込めない。ある国に「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を吞ませることはできない」ということわざがあります。アドラー心理学におけるカウンセリング、また他者への援助全般も、そういうスタンスだと考えてください。本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。
青年 カウンセラーは、相談者の人生を変えてくれないのですか?
哲人 自分を変えることができるのは、自分しかいません。
他者の課題を切り捨てよ
青年 じゃあ、たとえば引きこもりのような場合はどうです? つまり、わたしの友人のような場合は。それでも課題の分離だ、土足で介入するな、親には関係ない、とおっしゃるのですか?
哲人 引きこもっている状態から抜け出すのか抜け出さないのか、あるいはどうやって抜け出すのか。これは原則として本人が解決するべき課題です。親が介入することではありません。とはいえ、赤の他人ではないのですから、なんらかの援助は必要でしょう。このとき、もっとも大切なのは、子どもが窮地に陥ったとき、素直に親に相談しようと思えるか、普段からそれだけの信頼関係を築けているか、になります。
青年 それでは仮に、先生のお子さんが引きこもっていた場合は、どうされますか? これは哲学者としてではなく、ひとりの親としてお答えください。
哲人 まずは、わたし自身が「これは子どもの課題なのだ」と考える。引きこもっている状況について介入しようとせず、過度に注目することをやめる。その上で、困ったときにはいつでも援助する用意がある、というメッセージを送っておく。そうすると、親の変化を察知した子どもは、今後どうするのかについて自分の課題として考えざるを得なくなります。援助を求めてくることもあるでしょうし、独力でなんとかしようとすることもあるでしょう。
青年 実の子どもが引きこもっていて、そこまで割り切ることができますか?
哲人 子どもとの関係に悩んでいる親は、「子どもこそ我が人生」だと考えてしまいがちです。要するに、子どもの課題までも自分の課題だと思って抱え込んでいる。いつも子どものことばかり考えて、気がついたときには人生から「わたし」が消えている。
しかし、どれだけ子どもの課題を背負い込んだところで、子どもは独立した個人です。親の思い通りになるものではありません。進学先や就職先、結婚相手、あるいは日常の些細な言動でも、自分の希望通りには動いてくれないのです。当然、心配にもなるし、介入したくなることもあるでしょう。でも、先ほどもいいましたよね。「他者はあなたの期待を満たすために生きているのではない」と。たとえ我が子であっても、親の期待を満たすために生きているのではないのです。
青年 家族でさえ、そこまで線を引けと?
哲人 むしろ距離の近い家族だからこそ、もっと意識的に課題を分離していく必要があります。
青年 それはおかしい! 先生、あなたは片手で愛を語りながら、もう一方の手では愛を否定しています! そうやって他者との間に線を引いてしまえば、誰のことも信じられなくなるじゃありませんか!
哲人 いいですか、信じるという行為もまた、課題の分離なのです。相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。
青年 むずかしい、むずかしいですよ、それは!
哲人 もちろんです。でも、こう考えてください。他者の課題に介入すること、他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいものにしてしまいます。もしも人生に悩み苦しんでいるとしたら──その悩みは対人関係なのですから──まずは、「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知りましょう。そして他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにする第一歩です。