教室に入り、ブレザーを速攻で脱いで一息つく。ほんと、制服、つらいな。黒々とした冬服を着込むクラスの中で、まぶしいほどに白いワイシャツ姿の生徒が2人いる。ちょっと目立つかもしれない。僕とドンマちゃんだ。
「ねえ、寒くないの?」と友達に聞かれ、なんでそんなこと聞くの?というような表情で「全然」と答えているドンマちゃん。
いや、やっぱり浮いてるかも、僕たち……。
これをきっかけに僕たち2人は、「ワイシャツコンビ」と呼ばれることになり、ドンマちゃんと会話する機会も増えていった。
学校生活の刺激の中で、なんとか耐え抜いた1年が終わろうとしている。
学校に通うことが
目標や正解ではない
カビンくんは、私の中学生時代を投影しています。中学に入学し、友達をたくさん作りたいと、ふだんより2割増しで元気なフリをしてクラスの中で居場所を作ろうとする。みんなと楽しく話したいのに、輪の中にいたいはずなのに居心地が悪い。騒がしい教室を離れ、学校の中に静かな場所がないか探し歩く。ひとりぼっちはさみしい。けれど、孤独よりももっと刺激の多い場所が苦しい。
カビンくんとドンマちゃんの物語。学校生活のよくあるシーンの中で、感覚に関して困っている2人の戸惑いや悩みを描きました。教室のどこかに、学校のどこかにカビンくんやドンマちゃんは必ずいます。感覚は目に見えず、他人と共有することができません。自分の感じている世界と隣にいる人が感じる世界が違うなんて、想像することもありません。
私が見えている赤色は、みんなにとっても赤色であり、私がキレイだと感じた景色は、みんなにとってもキレイであり、私がおいしいと思ったケーキは、みんなにとってもおいしいものである。
このように学校という集団生活の中で、みんな同じものを見て触れて同じように感じていると勘違いしやすいのが「感覚」です。そして、当たり前のようにある音や光やニオイなどで苦痛を感じている人がいるなんて、なかなか想像できないものです。
物語では、ドンマちゃんという存在に惹かれ支え合いながら、カビンくんは学校や友達の中に居場所を見つけています。
ただここで注意いただきたいのは、学校に通い続けることや友達に囲まれた学校生活がハッピーエンドや目標ではないということです。
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加藤路瑛 著
カビンくんとは対照的に、私は中学2年で学校に行くことをやめました。私は、何がなんでも学校に通うことが正解だとは思っていません。学校の外にも居場所はあり、幸せもあります。ですから、カビンくんやドンマちゃんのように、学校に通い続けることが正しいとか重要であると思わないでいただきたい。これは感覚過敏や鈍麻で悩んでいる小中高生の方へのメッセージであり、保護者や先生へのメッセージでもあります。
誰一人として自分と完全に同じ感覚の人はいません。それほどに感覚というのは個性的なものです。感覚過敏や鈍麻など日常生活の中で不都合が多い特性があると、自分がダメな人間のように思えて落ち込む日もあると思います。
それでも、どうか自分の感覚を愛してください。目に見えず触れることもできない、私の感覚、あなたの感覚、みんなの感覚。どの感覚も個性的で多様で大切にしたい存在です。
世界中のカビンくんとドンマちゃんが五感にやさしい世界で過ごせることを願います。