人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊される。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

【世界中で爆発的に売れた】男性患者がなぜか手放さない…性生活の満足度を高める「夢のような薬」とは?Photo: Adobe Stock

血管を拡張する薬

「ニトロ(nitro-)」は、窒素(nitrogen)を含む化合物に使われる言葉だが、今やそれだけで狭心症の薬を意味してしまうほど、その効果は一般によく知られるようになった。

 では、そもそもなぜ、ニトログリセリンに血管拡張作用があるのだろうか。

 薬として使用されるようになってもなお、そのしくみは長らく知られていなかった。そもそも全身の血管は常に、必要に応じて拡張したり収縮したりしている。

 この血管の変化は、血管の壁を構成する筋肉の一種、平滑筋の収縮・弛緩によって実現する。血管が拡張するプロセスは非常に複雑なのだが、大まかに述べるとこうだ。

 血管内皮(内側の壁)で一酸化窒素(NO)がつくられ、これがシグナルとなって血管平滑筋に作用する。すると、cGMP(サイクリックジーエムピー)という物質が増加し、これが筋肉を弛緩させる反応につながって血管が拡張する。

世界中の科学者に衝撃

 私たちの気づかないうちに、全身の血管でこのような反応が日々起こっているわけだ。この一酸化窒素は、実はニトログリセリンが分解されてできる物質でもある。

 つまりニトログリセリンは、一酸化窒素を介して血管を拡張させているのである。一九九〇年代、一酸化窒素は、血管拡張の他にも全身でさまざまな機能を支配するシグナルとして働いていることが明らかにされた。

 窒素原子と酸素原子が結合した極めてシンプルな構造の気体が、人体の中でなくてはならない物質として働いているという事実は、世界中の科学者に大きな衝撃を与えた。

 一酸化窒素に関わるシグナルのメカニズムを解明したアメリカの医師フェリド・ムラド、化学者ロバート・ファーチゴット、薬理学者ルイ・イグナロの三人は、一九九八年にノーベル医学生理学賞を受賞した。

妙な出来事

 心臓の薬が持つ意外な「副作用」ニトロの効果が明らかにされ、製薬会社はこぞって新たな薬の開発に注力した。

 一九八五年、アメリカの製薬会社ファイザーも、狭心症の新規治療薬を開発しようとしていた。中でも有望だったのが、cGMPを分解する酵素「PDE-5」を阻害する物質だ。

 PDE-5を阻害すれば、cGMPが分解されず、その量が増える。そうすると何が起きるか。一酸化窒素から始まる反応のプロセスを思い出すと、血管拡張が起きることがわかるだろう。

「UK-92480」のコードで呼ばれたこの物質は、しかし残念ながら臨床試験で期待ほどの効果を示せず、その割に副作用は多かった。狭心症の薬としてUK-92480を実用化するのは、明らかに不可能に思われた。ところが、妙なことが起きた(1・2)。

 臨床試験に参加した男性患者たちが、試験中止後にも余った薬をなかなか返したがらないのだ。UK-92480の予期せぬ副作用のせいだった。

 cGMPは陰茎の血管を拡張させて血流を増やし、持続的に勃起を引き起こしたのである。

夢の薬の誕生

 一見取るに足らないように思えたこの反応は、多くの男性にとって、もはや「副作用」ではなかった。勃起不全(ED)に悩む中高年男性にとっては、性生活の満足度を高める、世界初の「夢の薬」に他ならなかったからだ。

 ファイザー社は一九九六年、この新薬の特許を取り、一九九八年に勃起不全の治療薬「バイアグラ」として販売を開始した。バイアグラは世界中で爆発的に売れ、一大センセーションを巻き起こし、ファイザー社の株価は急上昇した。

 狭心症の新薬開発のための研究が、期せずして広大な新規マーケットを開拓したのである。

【参考文献】
(1) QUARTZ「Viagra's famously surprising origin story is actually a pretty common way to find new drugs」
https://qz.com/1070732/viagras-famously-surprising-origin-story-is-actually-a-pretty-common-way-to-find-new-drugs
(2) TIME「The Viagra Craze」
https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,988274-5,00.html

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学からの抜粋です)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。
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公式サイト https://keiyouwhite.com