提言の裏にある忖度が
幸せを生まない議論につながる
簡単にいえば、自分の範囲を決めて意思決定をするとこうなるのです。言い換えると財界として口を出せるのは税制の部分なので、そこについて意思決定をしたというのが今回のニュースなのですが、それが幸せを生まない選択肢を生むという話です。
この一連の問題、素朴でもっといいかもしれない解決策に「少子化対策をやめる」という案があります。論理的にありえると申し上げたほうがいいでしょうか。
冒頭に申し上げた通り、税も政治も私は専門外です。ですから少子化政策をやめた方がいいという意見を私が持っているわけではありません。思考実験として考えてみようという話です。
今回、財界としては、「少子化対策で数兆円の財源が必要だというから、それだったら消費増税にしてくれとお願いした」というのが提言だとしたら、「少子化対策に数兆円のお金を使うのをやめてくれないか? その方が景気も上回り、雇用も増え、最終的に子どもを産む家庭も増えると思うよ」という意思決定をすることもありえるのです。
ただ、それは越権行為になる。ここが、財界がこのような提言に踏み切れない事情です。
しかし、このような状況でいいのでしょうか。
というのも、政官財のトライアングルの中で、政治家をけん制するのは本来は官僚の役割だったのです。ところが2010年代から官僚トップの任免権を官邸が握るようになった結果、権力構造として官僚のけん制が利かなくなりました。
だから、財界が古い権限だけにこだわっているとおかしな提言が生まれます。この権力構造のねじれと忖度(そんたく)が問題だと私は捉えています。
環境が変わったという前提を踏まえれば、経済団体のトップはかつてのように財界総理や財界閣僚としてのふるまいを取り戻すべきではないのでしょうか。
これまでは越権行為であったとして、
「それをやるんだったら財界としては政権に協力できないな」
と時に口にするような立場に変えていかないと、国民が不幸になる増税を財界トップが提言するような悪循環から脱出できません。
以前のような仲良しの提言ばかりでは財界が日本経済を守ることはできないように思うのですが、どうなんでしょうか。