現場取材を信条とし、アイルトン・セナやスーチー氏など各国の著名人にインタビューを重ねてきた国際ジャーナリスト・落合信彦氏。落合氏が語る「鉄の女」マーガレット・サッチャーの強さの秘訣、そして「日本の政治家に足りないもの」とは。本稿は、落合信彦×落合陽一『予言された世界』(小学館)所収の落合信彦氏の原稿の一部を抜粋・編集したものです。
サッチャーの「決断力」と
「人を見る目」の秘訣
未曾有の国難を決断力と強い意志によって乗り越えたのが「鉄の女」と称されたマーガレット・サッチャーである。
1982年4月2日、アルゼンチン陸軍が英領フォークランド諸島に上陸すると、彼女は同月2日には機動部隊を出撃させた。
当時サッチャーを好戦的と見る者が少なくなかったがそれは事実に反する。彼女はむしろ戦争嫌いで、首相に就任してから他国への軍事介入を避けてきた。しかし、イギリスの主権と領土を侵すアルゼンチンの暴挙に対しては、一切のためらいもなく、すぐさま動いたのだ。かつて私のインタビュー取材に対して、彼女はその時の覚悟をこう語っていた。
「確かに戦争は悪です。しかし、その戦争によってもっと巨大な悪をストップせねばならぬこともあります。もし連合国がヒトラーをストップしなかったら今頃世界はどうなっていましたか」
アメリカ任せで壊れたレコードのように「圧力強化」を繰り返すだけの日本の政治家は言うに及ばず、このサッチャーの言葉は「戦争反対」「憲法9条死守」を唱えるだけの護憲派にも鋭い批判となっている。同じインタビューでサッチャーはこうも語っている。
「平和は貴いものです。しかし、自由はもっと貴いのです。独裁の中での平和よりも混乱の中での自由の方がはるかに人間的であると私は思います。その自由のシステムが存亡の危機にあるとき、自由を愛し、自由の恩恵に俗している人間は立ち上がらなければなりません」
しかし、大義がある戦争だからといって、サッチャーが現地に派遣された兵士たちの犠牲や痛みを軽視したわけではなかった。当時、彼女は毎朝報告される若い兵士たちの死者、負傷者数に衝撃を受け、心の大きな負担となっていた。しかしそれでも決断を翻すことなく、人前では冷静かつ毅然と振る舞い、本国から遠く離れたフォークランド紛争でイギリスを勝利へと導いた。
一国のリーダーに求められるのは決断力とともに人を見る目だ。たとえ敵国の要人であっても高い見識と能力を持ち、信ずるに値する人物ならば、有力なカウンターパートたり得る。胸襟(きょうきん)を開き、難局を乗り切るため知恵を出し合い、時に連携することも可能だ。それを実践して見せたのがサッチャーだった。彼女がいなければ、東西冷戦の集結はなかったと言える。
ソ連のミハイル・ゴルバチョフを西側の政治家として誰よりも早く見いだし、ソ連を悪の帝国と忌み嫌ったレーガンに会わせたのは他ならぬサッチャーだったからだ。