2016年、このアメリカン・ユニバーシティが武装勢力によって襲撃される事件があった。自動車爆弾の爆発の後、正体不明の武装勢力が学生らを無差別に射殺する悲惨な事件であった。この武装勢力らは、アメリカの文化がそのまま持ち込まれたアメリカン・ユニバーシティという場所を、西欧の文化によるアフガニスタンの文化と慣習への侵略と捉えて実行に及んだと見られた。つまり、武装勢力らは、西欧の文化、とりわけ欧米の男女関係を軽佻浮薄と断じ、アフガニスタンの文化にそぐわないと感じていた可能性がある。

 かつては、部族間で諍いが発生した際に、賠償金の代わりに女性を差し出す因習も存在した。この因習は、今も農村社会に残っているとされる。このような家父長制を基盤とする超保守的な社会を、外部の力で拙速に変革することには大きな軋轢と混乱が伴うところに、現在のアフガニスタンが直面する困難が集約されている。

 翻って、少し前の日本でも「寿退社」と称して、女性は結婚とともに退職して家庭に入るべきとの保守的な考えが一般的だった。つまり、女性は出産、育児、家事を担う存在との社会通念がまかり通っていたということだ。日本でも、ひと昔前までは、女性が大学まで通うことに否定的な家は多かった。その日本でも、今や男女共働きや、女性の博士号取得がごく当たり前となった。アフガニスタンが抱える問題も、歴史を振り返れば、多くの社会が克服してきた問題だと思えば、少しは光明が見いだせるかもしれないと考えるのは楽観的に過ぎるだろうか。

 アフガニスタンはアフガニスタン人の国であり、外部者ができることは、彼ら・彼女らの自助努力の意志を側面的に支援することだけである。実際の問題として、アフガニスタンにおいて、外部者が理想と考える政治制度や思想を押しつける形での国家建設は成功しなかった。

 日本が取るアプローチは、欧米諸国のような自らが正しいと考えることを強要するのではなく、現地主義に根差した現実的なアプローチであるべきだと思われる。実効支配勢力ターリバーンの統治を一方的に認めたり擁護したりすることはできない。しかし、実際、アフガニスタンでは貧困や干ばつで、日々食べるものにも事欠く人が大勢いる。そうした問題について、アフガニスタンの独立、主権、領土の一体性といったものを尊重しつつ、できる手助けをすることが大切なのではないかと思う。