僕はすぐに答えた。
「それはありません。ですが、昔、難民キャンプの少年とした約束があって、それは守れませんでした」
その講演はシースパンで放映された。録画テープを見て、僕は自分自身がその答えに驚き、動揺さえしているのに気づいた。少年との約束は、何年も思い出したことがなかった。
しかし、いま、100人のアメリカの若者とシースパンの視聴者に、彼の人生を変えるべきだったのに変えられなかったことを、どれだけ後ろめたく思っているかを伝えていたのだ。まるでその少年が、社会から取り残され、傷ついている世界中の子どもたちに代わって、僕のところへ現れたような気がした。
彼はこう言っていた。「ぼくたちをわすれないで」
日々の暮らしでは気づかないかもしれないが、終わっていない課題は魂に重くのしかかっている。そして、ある日、予期せぬときに、叫び声をあげるのだ。
約束を破らせたのは僕の傲り
やり残した人生の宿題リストを作るとき、少年との約束は上のほうにあった。最初は、カクマの図書室を本でいっぱいにしようと決意した。しかし、だんだん自分が逃げ腰になっていくのを感じた。
事態は、当時よりもさらに複雑になっていたからだ。
僕はもう雑誌を編集していないし、国連難民高等弁務官事務所の知り合いは別のところに異動になった。出版社や航空会社の意思決定者が”ただの一市民”の要求に応えてくれるとは思えない。
それに、実際のところ、カクマの図書室がまだ本を必要としているかさえ確信がなかった。
思い返してみると、少年との約束は、なにか大きく派手なことをやりたい、という僕の願望から生まれたものだった。使命感に突き動かされ、小さなことでは満足できなかったのだ。そうでなければ、より堅実な、実行可能な約束をしていたかもしれない。