キャロラインには、実際に、プレシャスのような子が近くにいた。彼女が学校で相談相手になっている6年生の男の子だ。
 「ものすごくゆっくり教えないといけないの」キャロラインは説明した。 「だから本を読み合うことにしたの。楽しい。自分が大人になったみたいな気がする」
 その週、少年が初めてキャロラインに礼を言った。
 「その子にはとっても大事なことだったの。とても賢くて、良い生徒になりたいと思ってるのよ。だけど、友だちは自分たちと同じことをさせようとしてる。勉強なんてどうでもいい、という態度をとらせたがってるの」

「小さな良いこと」を積み重ねて
毎日を丁寧に生きる

 子どもたちの言葉で、僕は自分がどう生きていきたいかを改めて考えた。
 これまでは、大きく複雑なプロジェクトをまとめあげることで、人の助けになりたいと思ってきた。それは悪いことではない。しかし、そうしたプロジェクトが実行不可能なくらい大規模なものだったり、子どもたちを顧みることができないほど時間をとられるものだったりすれば話は別だ。

 また、あまりに”重要な”ものだと、日々、目の前に現れる、何百という小さな良いことをする機会を失ってしまいかねない。年配の女性のためにドアを開けたり、他人の目をしっかり見て話をしたりすることで、ワーズワースが言う”ささやかで、人知れず、名を残すこともない親切と愛の行い”を実践し、より良い人間になり、世界をより良い場所にするための貢献ができるだろう。

 もっと多くのこともできるかもしれない。だが、自分の人生に合った正しい行いをすれば、それだけでたくさんのことが達成できるのだ。

 どこに寄付をするかを決める年1回の行事の終わりに、僕は子どもたちに、難民キャンプの少年との約束を守れなかった話をした。子どもたちは、少年のことを、そして、アフリカで起こった戦争で両親や家を失ったすべての子どもたちのことを気の毒に思ったようだった。
 ベンは、40ドルを国境なき医師団とマーシーコーに寄付すると言った。アフリカの難民キャンプで活動する団体からベンが選んだものである。
 ノアも、難民を助けるために寄付する、と言った。

 しかし、僕の良心を慰めてくれるアイデアを出したのはキャロラインだった。