言葉には状況を真逆にする力がある

片岡 もう一つ貴重な体験としては、車掌として瀬戸大橋線に乗っていたときのことです。これはその名のとおり、瀬戸大橋を通る路線です。だから、瀬戸内海に大風が吹くとすぐに止まるんですよ。

 それである日、私が四国側から岡山駅に向かう特急列車に乗務していたときに強風で瀬戸大橋線が止まってしまって、岡山で接続予定だった新幹線に間に合わなくなってしまいました。そのために、乗り継げなくなったお客さんが、車掌室にワッと来て、文句を言ってきたんです。

 ところが、車掌室には二人の先輩車掌がいたのですが、先輩車掌たちはどうも車掌室から出ていく気配がない。仕方ないので一番下っ端の私が勇気を出して出ていったら、そのお客さんの一人がすごい剣幕で「新幹線を戻せ」と言うんですよ。定刻で駅を出てしまった新幹線を岡山駅に戻せと。

佐藤 それは終電だったんですか。

片岡 終電ではありません。だから岡山駅で待っていただければ、あとから来た新幹線に乗り継げます。だけど、それではダメだ、予定通りの新幹線に乗せろとおっしゃる。

佐藤 仮に戻ってきたところで、遅れていることに変わりはありません。常識で考えれば、そんなことはすぐ分かるのだけれども、もう常識論ではなくて感情論になっているわけですね。

片岡 それで私としては一生懸命に説明して、「天災があるときはみんなが大変なんです」「お客様も大変でしょうが、他の乗客のみなさま、われわれ鉄道職員も含めてみんながこの天災を乗り切ろうと懸命に努力をしております。もしご希望の新幹線を戻すとなると、その新幹線に乗車しているお客様までこの天災に巻き込むことになります。大変お辛いとは思いますが、ここはお客様も我慢してください」というようなことを時間をかけて説明したら納得していただいて、最後に握手してくださったんです。「お前もがんばれよな」と。

 すごい剣幕で怒っている人がいても、言葉の力によって連帯感を生むというか、むしろ仲間になれるというか、最後は笑顔で帰っていくんだな、という発見がそのときにありました。言葉の大切さを学んだと言いますか、やっぱり伝えるべきことは逃げずに言わなければいけないと思いながら、その後、車掌業務を続けました。

書影『教養としての「病」』(集英社インターナショナル新書)『教養としての「病」』(集英社インターナショナル新書)
佐藤優、片岡浩史 著