ですが、たとえ家族と離れて暮らすようになっても、彼らのルールが染みついており、無意識に従ってしまうことはままあります。
 周囲の人全員を満足させようとし、そのくせ自分自身のことは気にかけないのです。

 周りにどう思われるだろうか、認めてもらえるだろうかという恐怖のせいで、なかなか作り物の自分が歩む「言いなりの人生」から抜け出せません。

対立すれば必ず
否定されて終わる

 他の人にどう思われているか、そして自分が相手をどう思っているかを伝えたらどんな反応をされるかに戦々恐々とするのは、精神的虐待をされたことのあるあなたにとっては、もはや染みついた習性のようなものです。

 毒のある家庭において、あなたの正直さは排斥され、否定されます。

 あなたにとっては長いこと、それがあたり前だったために、そのあとも大切な人に嫌われないように完璧なコミュニケーションをとろうとして葛藤に苦しむのもうなずけます。

 私は人と話すのがあまりに苦手で、これから誰かと話すというときに具合が悪くなってしまうこともありました。

 人と意見が対立したときに、互いを理解し合う形で決着がつくのを経験したことがありませんでしたし、想像すらできませんでした。私の家では、対立すれば必ず私が否定されて終わったのです。

 望みや懸念を相手に伝えるのが怖くて、何も言わずじまいになる気持ちは理解できます。

 ですが、残念ながらそれでは誰もあなたを見てはくれませんし、あなたの望みや、どうしたらあなたを助けられるかを他の人に伝えることもできません。

 本当のあなたを隠して生きていくのは苦悩が増すばかりで、しかも他の人には、あなたが何に苦しんでいるのか理解してもらえません。

人からどう見られるか
ばかりが気になる

 アダムは非常に毒性の高い母親に育てられたせいで、大人になってからも人をなかなか信用できず、人づき合いをほとんどしません。何年も1人暮らしをしており、親切な近所の住人とも最低限の交流に留めています。

 あるとき、近所の人にスーパーボウル(訳注:アメリカンフットボールの大会)の観戦パーティーに誘われましたが、その年に出場するチームは特に応援していたチームでもなく、何より1人で家のことをしたいと思っていました。