【宇治山田高校】華麗なる卒業生人脈!映画監督の小津安二郎、元衆院議長の田村元、TDK社長の斎藤昇…映画監督の小津安二郎 Photo:SANKEI

日本映画の巨匠といわれる
映画監督・脚本家の小津安二郎

 三重県東部にあり、伊勢神宮の鳥居前町として江戸時代から発達した宇治山田市。現在は伊勢市になっている。この地に三重県立四中として設立されたのが、現在の県立宇治山田高校だ。

 知名度が最も高い卒業生は、映画監督、脚本家の小津安二郎だろう。昭和時代に『晩春』『麦秋』『東京物語』など、「小津調」と称される独特の映像世界を醸成したことで、国内のみならず海外の映画人のあいだで高い評価を受けている。

 小津は、1903年12月12日に、東京・深川で生まれた。もうすぐ生誕120年になる。没年は1963年の、やはり12月12日だ(享年60歳)。

 小学校時代に松阪市の小学校に転入、県立四中(宇治山田高校の前身)に進んだ。その時に映画に出合い、代用教員を経て松竹キネマ蒲田撮影所に入社した。1920年代後半から監督になり、戦後の作品で日本芸術院賞などを受賞した。

 サイレント映画時代から戦後までの約35年にわたるキャリアの中で、54本の作品を監督した。親子関係や家族の解体をテーマにした作品が多い。

 小津作品は海外での評価も高く、2012年に英国映画協会の映画雑誌が発表した「史上最高の映画トップ100」で『東京物語』の監督・小津が監督投票部門の1位に選ばれるなど、多くの映画監督が小津に敬意を表している。ドイツの巨匠ヴィム・ベンダース監督などは小津を、「映画の聖なる宝」と呼んでいる。

「日本映画の巨匠」といわれる小津を研究している「小津安二郎学会」もできている。同学会は24年春に京都市左京区に専用の研究施設を開設予定で、当時の台本やフィルムなどを収蔵して調査を進める。映画監督個人を研究する専門施設ができるのは、日本で初めてだという。