国内史上最悪の「三毛別ヒグマ事件」は“人災”だった~クマ対策なし、無防備で送り込まれた入植者の悲劇「三毛別ヒグマ事件」が起こった場所に展示されているヒグマのレプリカ。住居を襲う様子を再現しているという=8月、北海道苫前町

 今月2日、北海道南部の大千軒岳(福島町、標高1072メートル)を登山中だった北海道大学の学生が、ヒグマに襲われて死亡した。道内でのクマによる人身被害を振り返ると、明治から大正にかけての開拓時代に重大な被害が多発している。なかでも1915(大正4)年に起こった「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」は、死者7人を出した日本史上最悪の獣害事件だ。さらに23(大正12)年の「石狩沼田幌新事件」では3人が亡くなった。悲劇が繰り返された理由を、専門家は「ある意味、人災だった」と指摘する。

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「三毛別ヒグマ事件」は、作家・吉村昭のドキュメンタリー小説「羆嵐」やテレビドラマ、マンガなどで紹介され、広く知られるようになった事件だ。

 事件が発生したのは道北の天塩地方、日本海沿岸の苫前村(現・苫前町)。

 この地域は大正中期まで、ほぼ全域がヒグマの生息地。クマに襲われた2軒の開拓農家は、三毛別川の河口から20キロほどさかのぼった、そんな山間部で暮らしていた。

 第一の事件は12月9日の昼前に起こった。突然、沢の近くにあった家屋(太田家)に巨大なクマが侵入。在宅中の妻と男子を襲って殺した後、妻の遺体を運び去った。

 翌日、捜索隊は130メートルほど離れた地点で、ササなどを被せた遺体と、その近くにいたクマを見つけた。遺体のほとんどは食べ尽くされ、頭と四肢下部を残しているにすぎなかった。クマは捜索隊に向かってきたが、鉄砲などで反撃されると立ち去った。

 取り戻された遺体は太田家に安置されたが、その夜にあった通夜の最中、クマが再び襲ってきたのだった。

 なぜ、クマは攻撃を繰り返したのか?

「ヒグマは捕獲した獲物に対して強く執着します。遺体にササをかぶせるのは『自分の食べ物だ』という印です。クマはそれを取り戻そうとしたわけです」

 長年、ヒグマの生態を調査してきた北海道野生動物研究所の門崎允昭(まさあき)所長は、こう説明する。