静謐な水面のような
心境でする「推し活」
ハマってみて気づいたのは、アイドルを応援する心持ちには様々なあり方がある、ということである。
真っ先に挙げられるのはやはり“ガチ恋”と呼ばれるあり方だろうか。ガチの恋、すなわち真剣な恋心をファンが抱くもので、恋の熱意の激しさから消費行動に結びつきやすく、運営側は商売としておいしい。
これに対して、推しを複数持つDD(“誰でも大好き”の略)や、アイドルグループをグループとして推す“箱推し”がある。
特にガチ恋寄りの応援の仕方はファンの人の目がハートになっているものだと筆者は思い込んでいて、また自分がそのような状態になることを避けるべくアイドルから距離を置いていたフシはあった。なぜなら元よりAKB商法に懐疑的で、運営に己のガチ恋を集金の手段として絶対に利用されたくなかったから(集金方法のあり方は運営のテンションによって様々である)で、もう一つの理由が、ガチ恋の先に待つのが奇跡を除いてほぼ確実に悲しい挫折・一方的な失恋だからである(かつて女優・国仲涼子さんにガチ恋していた経験に基づく)。
また、当方43歳の既婚子持ちであり、ガチ恋はまずあり得ないにしても、一回りも二回りも年下の異性のアイドルに胸をときめかせることへの可能性に対して、強い警戒心があった。ちょうど、エデンの園の禁断の果実のようなもので、「食べたら終わる」的な恐怖を感じていたのである。
しかし、実際に口にしてみた果実は全然禁断などではなく、ときめきというよりかは、深い平穏であった。アイドルとしてかわいくあろうと、また見る人を笑顔にしようと懸命に努力する女の子たちの姿が胸を打つのである。プロとして仕事を全うしようとするその姿勢に畏敬の念を抱くとともに、こちらは一ファンとして提供されたエンターテイメントを存分に享受して、ただただ癒やされていればよい……。
これが筆者の見出した推し活の道であり、すでにこの道に到達されていたであろう先達に若輩者として敬礼の一つでも送りたい気分である。かくしてガチ恋要素はなくとも、静謐な水面のような心境でも、推し活は成立することを知ったのであった。