ロス疑惑、グリコ・森永事件……
ニュースのエンタメ化と「朝生」の誕生
泉 そういえば、朝生で使われている曲が当時のディスコとかで流れていたシンセサイザーを使った曲で、けっこう好きなんですよね。オープニングの曲(※)はYouTubeで聞いたりします。田原さんはあの曲を35年間、ずっと深夜に聞き続けているわけですよね。
※Jeff Newmann And His Orchestra「Positive Force」
少し前に、過去に録画した朝生のビデオを見たことがあるのですが、出演者はたばこを吸いながら討論していたり、CMはたばこが多かったりと、時代は変わったなあと思いましたよ。
田原 たばこどころか、酒を飲んでいる人もいました。
泉 朝生が始まった頃はだいぶ自由だったんですね。
田原 深夜番組だったので、刺激がないと視聴者は見てくれないんですよ。
泉 昭和50年代に話を戻すと、報道番組がバラエティ化していきましたよね。世の中の出来事をエンターテインメントとして見せるようになっていくというか。その後に始まった朝生もその流れと思いますが。
ワイドショーも増えていきました。昭和59年の三浦和義(みうら・かずよし)さんのロス疑惑(※)なんか、ワイドショーの格好のネタでしたね。最初に取り上げたのは「週刊文春」でしたっけ。そこから一気に週刊文春は売れていきました。
※ロサンゼルスで起こった銃撃事件を、実業家の三浦和義氏による保険金殺人ではないかと、週刊文春が「疑惑の銃弾」と題した連載で取り上げたことを発端に、連日、マスコミ報道が過熱した
三浦さんというのはタレント性があって、マスコミに取り上げられるのが好きな人でした。何かの雑誌で三浦さんについて書いたら、獄中から手紙が届いたんですよ。当時のトレンディドラマで使っていそうな、大きなフラミンゴの形をしたランプとか、そうした家具や雑貨を輸入する会社を経営していて、ハンティング・ワールドなどペイズリー柄のブランドバッグを持ち歩いていて、おしゃれでスタイリッシュでしたので、マスコミ受けしたんですね。
昭和50年代の終わりは、三面記事的なニュースがたくさんありましたね。そういう意味ではにぎやかでした。
田原 三面記事に書かれることがおもしろいと思われていて、あえて書かれるようなことをする人や企業が多かった。おもしろければいいということで、やばいことをあえてしたり。今は炎上を恐れて、どこも絶対に三面記事には載りたくない。
泉 ロス疑惑が報道された同年には、グリコ・森永事件(※)というのもありました。
※昭和59年と60年に起きた事件で、江崎グリコ社長を拉致して身代金を要求。その後も、森永製菓、ハウス食品、不二家、丸大食品、駿河屋などの食品企業を脅迫したり、報道機関に挑戦状を送りつけたりしたが、時効を迎えて未解決事件となった
――当時、私は小学生だったこともあり、とても不気味で怖い事件の印象でしたが、おふたりはどのような印象だったのですか?
泉 あの事件はどこかとぼけた感じがあって、怪文も江戸川乱歩など昭和30年代くらいの怪奇童話とかを下手にパロっている感じで。
田原 世間やマスコミは、恐怖というよりは、興味本位で騒いでましたね。
泉 お菓子の会社の社長が誘拐されたり、食べた被害者はいなかったけれど、実際に青酸を入れたお菓子をお店に置いたりと、お菓子という身近なものに怖いことをされるということで、たしかに子どもたちにとっては衝撃だったかもしれませんね。
昭和50年代と現代は共に
「変革の時代」だが方向性が違う
――令和の今と昭和50年代、一番大きな違いは何だと思いますか?
田原 当時は皆、おもしろそうなことがあれば何でもチャレンジしていた。企業側も、相手にされないよりは物議を醸しても構わないというスタンスだった。今は「炎上」を怖がって、新しいことは何もできなくなってしまっている。やっぱりね、批判を恐れずにどんどんチャレンジすべき。こう思いますね。
泉 炎上に関しては、どこで火がついてどう広がっていくかがわからない不気味さはありますよね。
街のつくりも、地上からは変化はわからないけど、いつの間にか地下が広がっている。カルチャーも、以前は目に見える形の流行だったり、調べればすぐにわかるものだったりしましたが、SNSの中だけで話題になっていたりと、知らないところでヒットしているものもたくさんあります。僕たちがそう感じているだけで、今の小学生たちは、SNSの捉え方はまた全然違うのだろうと思いますが。
田原 今は、知らないところで世界が広がっている。音楽も、昔は紅白(※NHK紅白歌合戦)に出る人たちがすごかったけれど、必ずしもそうではなくなりましたね。
泉 テレビなどのメディアに登場しなくてもヒットしている曲は多い。表舞台ではなく、そういうところでもうけている企業もたくさんあるわけです。昭和50年代は表の変化でしたが、今は変化の方向性が違うのだと思います。