深夜の討論番組「朝まで生テレビ!」。1987年から36年間続く超長寿番組だ。バブル景気の開始と崩壊、「昭和」の終焉、東西冷戦、湾岸戦争、9・11同時多発テロ、東日本大震災、「平成」の終焉、世界的なパンデミック、ロシアのウクライナ侵攻など、その間に世界ではさまざまな出来事が起こり、その都度、テーマに反映してきた。出演者の顔ぶれやスタジオの雰囲気含め、時代を映してきた番組である。その中で一貫しているのは「人と顔を合わせて話をする」ことだ。今回、総合司会を務めるジャーナリスト・田原総一朗氏と、朝生の現プロデューサー・鈴木裕美子氏に、「朝生」誕生の秘話、テーマや出演者をどのように決めるか等の素朴な質問、そして、番組を通して「若い世代へつなげたいこと」を聞いた。(構成・文/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光、撮影/Take)
言いたい放題の「朝生」
やはりトラブルは多いのか?
――討論番組「朝まで生テレビ!」(以下、朝生)は、その名の通り、生放送というスタイルを36年間、貫いてきました。おふたりは生放送の醍醐味はどこにあると考えていますか?
1934年、滋賀県生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、岩波映画製作所や東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、1977年からフリー。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「ギャラクシー35周年記念賞(城戸又一賞)」受賞。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『さらば総理』(朝日新聞出版)、『人生は天国か、それとも地獄か』(佐藤優氏との共著、白秋社)など。2023年1月、Youtube「田原総一朗チャンネル」を開設。
田原総一朗(以下、田原) 編集できないところがおもしろいよね。
鈴木裕美子(以下、鈴木) 私は「共有体験」ですね。テレビ局にいる私たちと視聴者は、同じ場所を共有することはできませんが、同じ時間を共有することはできるんです。
加えて、生放送は先が見えないおもしろさがあります。「さっき、田原さんは声を張り上げていたけれど、この後ちゃんと司会をしてくれるのかな?」「(出演者の)Aさんはまだ何も発言していないけれど、何をしゃべるのかな?」「BさんとCさんはお互い感情的になってけんかしてしまったけれど、この先大丈夫かな?」と、みんなハラハラして、次に何が起こるのだろうと意識を向ける。生放送の醍醐味ですね。
テレビはやっぱり生です。WBCやワールドカップなど、スポーツ中継が視聴率を取るのは、生で見ている人全員が同じ時間を共有できるから。つくる側も、演者も、視聴者も、共有できる。生放送以外、考えられないというほど、私は、生放送一本やりの人生を歩んでいます。
――たしかに、「この人はどのタイミングで口を開くのだろう」「どういう意見を持っている人なんだろう」と気になって、つい見入ってしまいますね。生放送は編集できない分、トラブルも多いのですか?
田原 (映画監督の)大島渚さん(1932-2013年)と(作家の)野坂昭如さん(1930-2015年)は番組内でしょっちゅう口げんかをしていて、パーティーでは殴り合いもしていたね。当時は血気盛んな人がたくさんいた。
鈴木 私がプロデューサーになってからは、トラブルらしいトラブルは一切ないんです。
昔は、飲んでベロベロに酔っ払って出演する人もいましたし、本番中に飲んでいる人もいました(笑)。タバコを吸いに勝手にスタジオを出ていく人も。当時はバンカラだった時代で……。今の日本は成熟したというか、朝生の出演者に無頼派はいなくなりましたね。そういう意味でも、朝生というのは時代を映す鏡だと思います。
――そもそも朝生は、どのような経緯で生まれたのでしょうか?