自由が丘は当時からスイーツの街
新宿ゴールデン街は文化人が通う街

 東京には当時、西武文化圏、東武文化圏以外にも、東急文化圏というのもあって、僕は高校が日吉(神奈川県横浜市)にあって、渋谷で乗り換えて通ったので、遊び場は東急文化圏でした。自由が丘(東京都目黒区)などはよく行きましたね。

おふたり

――自由が丘は当時からおしゃれな街だったのですか?

 昭和35年に公開された「自由が丘夫人」という映画があって、自由が丘を「有閑マダムの街」として描いていました。僕たちの学生時代の10年以上前からすでにそうしたしゃれた街のイメージだったんですね。銀座の今でいうスイーツのお店の支店が多く出店していて、今でも自由が丘はスイーツのお店が多いですよね。その最たる例が「モンブラン」で、日本におけるモンブラン発祥のお店と言われています。

 僕たちが学生の頃は喫茶店がたくさんあったのですが、今はほとんどがチェーン店で、思い出の喫茶店はもう1軒も残っていません。

――田原さんは、学生時代はどのように過ごされていたのですか?

田原 僕は作家になりたいと思って早稲田大学の文学部に入ろうとしたのですが、僕は実家が貧乏だったので、実家への仕送りと学費、生活費を稼ぐために、夜間学部(第二文学部)に入学し、同時にJTBの試験を受けて入社し、昼はJTBで働き、夜は大学に通いました。

 22歳の時に「マスコミに入社してジャーナリストになりたい」と思い、第一文学部の入試を受けて、入り直しましたが、やはりお金を稼ぐために、新聞配達をしながら学習塾を経営していたんです。忙しいしお金がなかったから、どこか街へ繰り出して友人と遊びに出かける余裕がなかった。お酒を飲みに行ったりする余裕もなかった。それで趣味もできなかったんです。

 JTBではどういったお仕事をされていたのですか?

田原 東京駅内の観光案内所で、旅行客に、ホテルや旅館を手配したり、電車の切符を売ったり、そういうことをしていました。

 ホテルや旅館の人たちも、どうすればお客さんをつかまえられるかと、よく相談に来ました。当時は、今となっては言い方はよくありませんが、パンパンガール、つまりは売春婦が東京駅周辺には多くいて、そういう女性もよく相談に来るんですよ。どこへ言えば外国人をつかまえられるか、その後、どこのホテルに行けばいいか、とか。赤線も青線もよく案内所に来ました。

 相手は進駐軍ですよね。日比谷にGHQ(連合国軍総司令部)がありましたからね。

田原 はい。ですから東京駅周辺にもG.I.がたくさんいたんです。

おふたり

――田原さんは昭和50年代はどの街によく行かれたのですか? 新宿のゴールデン街にもよく行かれたとか。

田原 その頃は練馬に住んでいましたね。石神井公園や富士見台です。 ゴールデン街は、先にお話したように僕はお酒が飲めないので、遊びではなく取材でよく行ったんです。当時、僕よりも少し上の世代の文化人の多くは、ゴールデン街で酒を飲んで、友だちや愛人をつくっていました。

 戦後の闇市を流れとする今のゴールデン街一帯は、その前身の「花園街」では、多くのお店で赤線が行われていましたが、昭和50年代は、お店の2階はまだその名残があったのかもしれませんね。

――先ほどからお話に出ている赤線や青線って何ですか?

田原 いわゆる風俗店ですよ。

 国が、特殊飲食店として売春を許容または黙認していたエリアを赤い線でくくっていたので「赤線」。逆に、(風俗営業法の)許可を取らずに非合法で売春行為をさせていたお店が「青線」です。歌舞伎町というのは、都内有数の売春街でした(※)。
※1958年の売春防止法施行により、青線営業を行っていた店は次第に消滅していった

田原 「白線」というのもありました。赤線や青線のようなプロではなく、素人の人たちによるもぐりの売春行為をそう呼んでいました。

 僕らの世代は、ゴールデン街はあまり行きたくなかったんですよ。田原さんのおっしゃる通り、作家さんなど文化人はよく通っていたのですが、新しいカルチャーがどんどんできている時代において、前時代の名残が強かったことが20代の若者たちにとっては近寄りがたかったというか。行くと必ずほかのお客さんと討論になって、けんかが始まったり。そういうのが何だかかっこ悪い気がして。

田原 全共闘世代ですからね。けんかするのが好きなんですよ。

 朝生(朝まで生テレビ!)が始まったのは昭和50年代よりもう少し後だったと思いますが、朝生によく出演されていた野坂昭如(のさか・あきゆき)さんや小田実(おだ・まこと)さん、大島渚(おおしま・なぎさ)さんたちもよくゴールデン街へ行っていたようですね。

田原さん縦

田原 彼らはけんかが好きだったからね。

 野坂さんは、とんねるずの石橋貴明さんともけんかしてましたものね。

田原 朝生でもけんかばかりして、進んで悪役を買って出てくれた。戦争を経験しているので、ある意味、皆、真剣でした。近年はそういう殺気立った人たちがいなくなってしまいました。

 今は田原さんが悪役を一手に背負っている。出演者に「帰れ!」とか言って(笑)。

田原 戦争を知らない世代になり、「戦争はダメだ!」と真剣勝負をする人はいなくなりました。

 野坂さんや大島さんは、どこかしゃれがあったじゃないですか。けんかをしながらも、それをユーモアに変えるというか。

田原 けんかをすることで友だちになると思っているんです。空気を壊すことで本当の友だちになれる。けんかもできないやつとは友だちになんかなれない。こういう考えでした。彼らはけんかが楽しいから出演していたんですよ(笑)。今は、空気を壊したら関係性も壊れてしまうという考えの人が多いですからね。

 朝生でも、けんかをさせようとして出演者をあおると、議員などのほかの出演者になだめられてしまう。「人の言うことを聞けないおじいちゃん」みたいに映るからスタッフからはやめろと言われています(笑)。