上海は今、ちょっとした金集めの温床になっている。上海在住のある日本人経営者に慈善団体から人づてに声がかかった。つきあいもある、お互いゴルフ仲間で知れた顔だ。「少しばかり寄付してくれませんか、と。しかし、そんな依頼は1つや2つではない」とこの経営者は話す。四川大地震をきっかけに、中国で「いろんな種類の寄付金バナシ」をよく聞くようになった、また、その選択に迷うようになったと実感するのは筆者だけではないと思う。

 四川大地震は、企業にとっても個人にとっても「寄付」は無視できない行為であることを認識させた。当然、上海在住の日本企業や日本人も、常にその踏み絵は敷かれていると言っていい。世間は寄付をしない者をケチだとののしり、寄付をした者には遠慮会釈なくその金額を問う。また、寄付をする側も世間体ありきで、名前と金額を公表する寄付がもたらす宣伝効果、経済効果を存分に期待する。送る側、受け取る側の間では、金額以上に重いはずの「善意」が問われなくなってしまう。まさにこれこそが中国という風土で発展した1つの慈善スタイルというものなのだろう。

日本人の小銭は
大して意味がなくなった

 日本には「貧しい中国、かわいそうな中国人」の呼びかけに心を痛め、浄財を投げ打つ善男善女が存在する。世界第2位の経済大国になろうとするこの中国で、日本人の小銭は歓迎されるのだろうか。

 中国人が率いるある環境保護団体には日本支部がある。そこでボランティアをする青年の言葉はとても印象的だった。

 「募金箱の小銭よりも、企業からの多額の支援を所望するようになった」

 もっぱら企業への“営業”がメインになってきたという。

 この団体に上海在住のある中国人夫婦が寄付をした。それは分厚い札束を成す1万元(1元=約14円)だった。中国で寄付金といえば、もはやこのような金額が常識である。逆に、前出の青年が1年かけてワンコインをせっせと集めてもこの金額には到達しない。従来、環境保護に理解ある日本人のサポートに頼っていたこの団体も、今は金回りのいい中国に活動の軸足を移した。「日本の小銭はあまり意味を持たなくなった」とする専門家もいる。

 一方で、近年は中国ならではの「社会貢献の常識」が確立されつつあることも、ぜひ知っておきたい。