1993年には無事、(京都府の)舞鶴工業高等専門学校に入学しました。そこから5年生まで、計4回ロボットコンテストに参加しました。ただその時期は不景気で、高専を卒業してからものづくりに進む決断をするのは、なかなか難しい時期でした。

 ちょうどその頃、インターネットが普及し始めたんです。そこで自らサーバを立てて、みんなに使ってもらっていました。そのうちに、「みんなのコンテンツを配信する」ということがだんだん面白くなってきたんです。それで勢い余って、1996年、学生のまま「さくらインターネット」を創業しました。もともと自分でサーバを運営していたんですが、学校の回線でサーバ運営をするのはなかなか厳しくなっていました。そんな背景があって、お客様からお金をいただいてのサーバ運営を始めました。

 ちょうどマイクロソフトが「Windows 95」を販売してすぐのタイミング。日本で急激にインターネットの利用が広がっていました。1998年頃になると、にわかに学生起業ブームがやってきて、そのあとにはネットバブルが始まりました。マザーズ市場ができたことも相まって、「学生が起業してインターネットの専門性を武器に上場する」ということが周囲でもたくさんあったんです。私たちもそういう環境の中で創業し、上場を目指しました。

 1999年には法人化して「さくらインターネット株式会社」を立ち上げました。その後、2005年に東証マザーズ市場に上場し、2015年には東証一部にくら替えしました。今は41歳になり、一応「エンジニア社長」と名乗ってはいますが、実際のところ経営に携わることのほうが多くなっています。

「音楽性の違い」から、一度社長を退く

 もともと私は創業から社長をやってたんですが、上場前にはエンジニアリングよりも、社内体制をどうするかといった形式的な業務が増えてきました。そうなると、もともと自分自身がやりたいと思っていたこととの乖離(かいり)を感じるようになってきました。それで、その時に一度社長を自分から辞めるという選択をしました。今から思えば「若気の至り」や「音楽性の違い」かもしれませんが、結果として会社を離れる決断をしました。当時、上場が「手段」なのか「目的」なのか分からなくなっていたところも大きかったんです。

 上場ってあくまで目標だったのですが、それを達成するために証券会社や監査法人からさまざまな指摘を受けることが多かったんです。本来ならそういう外部からの指摘と自分のやりたいことの折り合いをつけていくべきなんですが、当時は「上場するために変な犠牲を生むのは、やってられん」と。結局は筆頭株主でしたし、オーナーという立場でもあったので、副社長として経営陣に残って上場しました。