加えて、ハウジング専用(顧客が所有するサーバを持ち込む方式)のデータセンターというのを作りました。それに対して、社内はあまり乗り気じゃなかったんですね。ハウジング専用のデータセンターというのは、不動産と同様のビジネスモデルです。なので社内では「事業として厳しいんじゃないか」という意見も挙がったんです。ですが、反対するのもめんどくさかったので、そのまま放置していました。それが結局破綻してしまったんです。

 オンラインゲームについてばかり言われがちですが、実はそれよりも、ハウジング専用のデータセンターをいつの間にか作ってしまったり、子会社がいつの間にか増えていたり——そういった本業から照らし合わせると「ちょっと違うな」ということばかりなんです。おまけにやりたい人も特にいないなっていう中でなんとなく進んでいましたし、それを止められなかった。それがやっぱり失敗の本質にあるなという風に感じています。

原因は「ちゃんと話をしていなかった」に尽きる

 その根本的な要因は経営陣が「ちゃんと話をしてなかった」ということに尽きます。

 法人で言えば、誰か1人のせいで大きな失敗をするというのは、本質的にはないはずなんです。1人が失敗しそうになったときでも、周囲と対話できる状態を作っていれば問題ないんですよ。けれども、対立を恐れてお互い何も言わない、批判しない状況になってしまうことがあります。肯定も批判もせずに無関心でいる。これが一番まずい。

 当時の経営陣には、そんな無関心が蔓延していました。私自身も何か言うのが面倒くさいし、他の人も何か言うのが面倒臭いという中でチームが対話を失っていったんです。そうなるとやっぱりおかしいなと思ってることがそのまま続いてしまったり、本来やらないといけないことをやらなかったり、そういうことが起こったんだと思います。

 最終的に債務超過に陥って、そこで社長をやっていただいていた方が辞任して、私が社長に復帰することになりました。2007年末の出来事です。

 当時、自分の株券を引き出して、株券を担保にお金を借りまくってなんとか資金を集めました。株は(不適格銘柄となり)売れないので、株を10倍とかの担保で持っていった。例えば1000万円を借りるために1億円分の株を持っていくような状況でした。年明けには双日が大株主に入ってくれたこともあり、数ヵ月で債務超過を解消しました。さらに、子会社を全て売却していき、1年半後には黒字に戻しました。