ライドシェア解禁「既得権vs新規参入」激論で置き去りにされる“外部性問題”ライドシェア増加による交通渋滞は、社会全体の生産性改善を阻害する可能性がある(写真はイメージです) Photo:PIXTA

岸田首相が24年4月からライドシェアを一部解禁すると表明したが、ライドシェア導入について賛否両論が飛び交っている。過疎地への対応や経済活性化の効果を期待する声がある一方で、タクシー・ハイヤー業界からは反対論が示されている。こうした議論は「既得権益者vs新規参入者」の構図になりやすいが、経験や感情に基づく議論に終始しがちだ。コンサルティング会社経営者が、「外部性」という考え方をもとにアメリカの事例を紹介しながら、ライドシェア議論のあり方を提示する。

感情的で目先の議論が
横行するライドシェア

 ライドシェアについての議論が喧しい。与野党の政治家を巻き込んで、徐々に論戦は激化している。現時点で世論の賛否は割れた状態だ。

 賛成派も様々だ。過疎地限定で解禁すべきという意見もあれば、経済活性化やドライバー不足の救世主として全面的な解禁を主張する向きもある。

 ライドシェア反対派の中心は(当然だが)タクシー・ハイヤー業界だろう。ただし、一般消費者でも安全性などを理由にライドシェアに対して慎重な意見も少なくない。

 これらの議論は「既得権益者vs新規参入者」という構図になりやすい。ライドシェアの安全性についての感覚も人それぞれであり、経験や感情に基づく議論に終始しやすい。

 本稿では上記をいったん横に置き、ライドシェアの持つ外部性、特に「負の外部性」を中心に議論をしたい。外部性の問題が置き去りにされているように感じられるからだ。