その時、男は相手の容姿がまったく分からないので、

「身近な女だと、誰に似てる?」

 と、その男の知っている女と比べて、綺麗かブスか、あるいは似ているかということで判断したはずです。今なら「芸能人で言うと誰?」といった感じで、人前に姿を現さない貴婦人の容姿を形容するには、どうしてもその男の知っている女を基準にするしかなかったのではないでしょうか。

 女の容姿を自由に見られるのは、そこに出入りしている女房です。その女房というのがまた勤め先の屋敷を掛け持ちしていたり、あるいは、その姉妹や母親や叔母さんなどが、別の屋敷に仕えていたりして、令嬢の容姿の情報を握っている。

 たとえば『源氏物語』の柏木は、自分の乳母が、女三の宮の乳母と姉妹だったため、自分の乳母を通じ、まだ宮が幼いころから、

「とてもおきれいでいらっしゃる、ミカドが大事にかしずいていらっしゃる」

 といった噂を聞いて、宮への思いが生じたのだ、と物語は説明しています。

 桐壺帝が藤壺に入内するよう打診したのも、ミカドにお仕えしていた典侍が、藤壺の母后の御殿にも親しくお仕えしていたために、藤壺を幼少から拝見し、今もちらりとお見受けすることがあって、

「亡き桐壺更衣と似た人を、三代の御代にお仕えしていても拝見したことがなかったのですが、この姫宮こそは、まことに生き写しでございます」

 と、進言したからです。

 このように、問わず語りで女房が教えてくれることもあれば、男が意中の女の容姿を事情通の女房に尋ねることもあるでしょう。その際、男にとって基準になるのは、

「うちのおかんと比べてどう? 鼻の感じは? 目の感じは?」

 と、誰かに似ていることであろうかと思うのです。

『源氏物語』で、「似ている女」がこんなにも登場するのは、そんな背景があったからではないでしょうか。

「身代わり女」は
男との関係に苦しんでいる

『源氏物語』における「容姿の似た女」は、男にとって、手の届かぬ女の「身代わり」として、愛されるという設定になっています。

 この発想は、私を含め、現代人にとって、最も不思議に思われるところではないかと思うのですが……。