ノートで「体験すること」がおもしろくなる
「記録することで、旅や散歩がおもしろくなる」というのは、「体験したこと」を思い出すケースに限った話ではありません。これから散歩する街も、これから出かける旅行も、「記録」することで、より楽しめるようになります。
というのも、記録を前提とすることで、五感が研ぎ澄まされるからです。つまり、「見る」や「聞く」といった感覚がよくなるわけです。家に帰ってきたあと、自分の手でノートをつくる。そのためには、施設の観光中でも、食事中でも、ただ道を歩いているときでも、ある程度は真剣に見たり、聞いたりしておかねばなりません。
というより、自然にそうなってきます。いい建築を見たら、無意識のうちに「この良さをどう言い表せばいいのかな……」と考えるようになるし、旅先で人と話すときには、その人の風貌や言葉遣いにより注意するようになる。普段は気にしないような空の色や、街の雰囲気も、より意識するようになります。あとでメモ帳やノートに書くかもしれないからです。
建築のことを書きとめようと思えば、自分の知識不足に気がつくので、書店に行ったとき「そうだ、建築の入門書を読んでみよう」と思ったりする。読めば建物の見方がわかるようになるから、さらに観察眼が磨かれる。このように、いい循環が起きてきます。
反対に、「何も記録しない」と決めてしまうとどうなるでしょうか。どうしても話や説明を聞いたり、何かを感じたりという態度がなおざりに、適当になってしまいます。それも当然でしょう。聞こうが聞くまいが、見ようが見まいが、どのみち忘れるからです。
結局忘れるものに、注意を払うのは労力のムダでしかない。というわけで、どんなに注意を払っているつもりでも、無意識のうちに態度が真剣でなくなります。こういうボンヤリした感じを予防するためにも、記録は役に立つわけです。出かけるとき、メモ帳とペンをポケットに入れていく。これだけで、感覚が鋭くなります。
また、記録すると、感覚だけでなく「感性」も鋭くなります。「あとで何か書こう」と決めると、どんなことに対しても、「何かおもしろいことを探そう」「何かキラリと光るところを見つけたい」という心構えができます。その土地を歩いた体験をノートにまとめるとき、誰だって少しはガイドブックには書いていないような、自分だけのユニークなことを書きたいと思うでしょう。
だから、どんな体験をしても、そこからおもしろかったこと、自分の感性にわずかでも響いたことを、取りこぼさないように拾い上げておこうとする。つまり、「独自の目を持とう」という志向が生まれるわけです。