幼い頃の過酷な体験は、それを抱えたままでは生きていけないという理由で記憶が封印されることがあります。しかし、なんらかのきっかけで記憶が蘇る「フラッシュバック」が起こることもあります。当然被害者は、その後とてつもない苦しみを味わうことになります。

 また、被害を受けた年齢が低いからといって、記憶していないわけではありません。体はトラウマを記憶します。

 小児性犯罪者も、自分がしている加害が犯罪行為であることはわきまえています。彼らがもっとも恐れているのは、加害行為が発覚することです。しかし、自分の欲求を充足し、加害行為を続けるためにも自らの考えを正当化し、認知の歪みを強化していくのです。

判断能力も性知識も未熟な相手に
愛と性のプライベートレッスン

(3)純愛幻想
「けっして傷つけようと思ったわけではない。自分なりの愛情表現だよ」
「そもそも僕とあの子は純愛で結ばれているから文句を言われる筋合いはない」
「挿入は犯罪だからダメだけど、性器を触るぐらいなら相手も少しずつ気持ちよくなるはずだ」
「互いに愛し合っているから性的な関係を持つのは自然なことだ」。

 加害者は時間をかけてグルーミングをしていきます。とくに加害者と被害者が顔見知りである場合、加害者が子どもに指導・教育する職業(教師、インストラクター、塾講師、保育士など)であれば、まるで真綿で首を絞めるかのように支配的な関係性を構築していきます。

 その過程において彼らは、「自分と子どもは純愛で結ばれている」という認知の歪みを内面化し、加害行為を繰り返せば繰り返すほど、それは強化されていきます。加害者のなかでは、「沈黙=自分の愛情表現を子どもが受け入れてくれている」というストーリーが強固にできあがっているのです。

 加害者がその判断能力の未熟さを利用するので、ときに被害者である子ども自身も「あれは恋愛だった」などと思い込まされてしまうケースもあります。しかし、やがて「あれは、実は性暴力だった」という被害の現実に直面したとき、それまでの信頼感や怒り、絶望がないまぜになり、彼らのこころが壊れてしまうことも珍しくありません。