そもそもペドフィリアは性的指向ではなく、性的嗜好です。性的指向は「どの性別を恋愛や結婚の対象とするか」であるのに対して、性的嗜好は「何に対して性的興奮するか」を意味しています。

 子どもとの性的接触を望むペドフィリアは、性的嗜好ですし、そもそもどんな人でも、どんな嗜好があっても他人を加害し、人生を台無しにしていい理由にはなりえません。

 また最近では、「LGBTPZN」という言葉もあるようです。これはLGBTにペドフィリア(Pedophilia=小児性愛障害)、ズーフィリア(Zoophilia=動物に対する性的嗜好)、ネクロフィリア(Necrophilia=死体に対する性的嗜好)という社会的に嫌悪される性嗜好を加えた概念です。LGBTよりPZNのほうが性的欲求の解消が難しい、だからLGBTと同様に配慮されるべきだと考える人たちもいるようです。

 また、似たような認知の歪みに「ペドフィリアは脳の病気だから仕方がない」というものもあります。しかし、彼らは警察官の前では加害行為に及びません。時と場所や相手、方法を緻密に選んで加害を行います。自分が圧倒的に優位な立場に立てるターゲットを選んで行動化しているわけですから、過剰に「脳の病気」などと病理化してしまうと、加害者の行為責任を隠蔽することになりかねません。

(7)究極の歪み
「大声を出されたときは、殺してしまえばいい。だって騒ぐほうが悪いんだから」

 聞くだけでもおぞましい認知の歪みです。

 このような発言が出てくること自体、命の軽視が見てとれます。「殺してしまえばいい」と思えるほどの圧倒的な支配関係。まさに「生殺与奪の権は我の手の中に」と言わんばかりです。これこそが彼らの求める究極の「支配―被支配」の関係とも考えられます。