最後まで幸せに生きる、死ぬまで家事をやり続ける、自分で自分の面倒をみて生きていくことが目標だという著者が見つけた究極の「自立」の方法。それは、逆説的だが他人の手を「うまく借りる」ことだった。本稿は、稲垣えみ子『家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択』(マガジンハウス)の一部を抜粋・編集したものです。
「ラク家事生活」は
他人様のおかげ
自分の身の回りのことは自分でやる、というのが私のやり方であり主張だ。
だって結局はそれが一番「間違いない」し「安心」なのである。何がどうなるかわからない世の中で、間違いなく頼れるのはどう考えても「自分」。そう自分で自分の基本的な生活を整えることができたなら、どんなひどいことが起きようとも、なんとか前を向いて元気に生きていけるはずだ。
だが……よくよく我が身を振り返ってみると、ワタクシ案外「自分のこと」をするのに他人様の手をお借りしているではないか!
いやそれどころか、今の「ラク家事生活」が成り立っているのは、他人様の手を借りているおかげともいえるのでは……ということにフト気づいてしまった。
例えば、私は家の風呂を使わず近所の銭湯に通っているのだが、何がイイって「風呂掃除をしなくていい」ことである。お風呂屋さんがデッカイ湯船に最高の湯を沸かして日々待っていてくれて、終業後はピカピカに掃除して翌日もまた待っていてくれる。私は回数券を手にのんびりつかりに行くだけ。いやー、最高だ!
だって家の風呂掃除って実に終わりのない重労働ですよね?やってもやってもたちまちカビる。本当は毎日掃除するべきなんだろうが大変すぎてそんなことできない。なので風呂掃除は絶えず頭の中の「懸案」としてモヤモヤと我らの人生を支配し続けるのだ。
そのモヤモヤから解放された私!ああお風呂屋さん本当にありがとうございます!
それだけじゃない。今や私は家で揚げ物をすることを放棄した。
だって一汁一菜の10分クッキング生活ではそんな「大変な料理」など考えただけでハードルが高く転びそうになる。コロッケを食べたくなったら近所のお肉屋さんに行き、一個90円の揚げたてを買ってハフハフ食べる。ああ本当に餅は餅屋。揚げ物のプロの作る揚げ物ほど最高の揚げ物があろうか。ああお肉屋さん本当にありがとうございます!
まだある。火力が勝負の中華料理を我がカセットコンロで作ることをあきらめた私の頼みは近所の町中華!野菜炒めと餃子と紹興酒の熱燗をいただくのが我が食生活最大のハレのイベントである。この道60年はゆうに超えるおっちゃんの鍋振りは見ているだけで最高だ。むろん味も最高。本当に感謝である。