さらに言えば、豆腐やお揚げは近所の豆腐屋さんで作りたてを買う。軽く煮たり焼いたりですぐ食べられるので本当にありがたい。我が一汁一菜生活は豆腐屋さんの下ごしらえの上に成り立っている。

 そのように考えていくと、どう考えても、我が現在のラク家事生活は、全くもって日々人様の手をお借りすることで成り立っているとしか言いようがない。

 ということはですよ、「自分のことは自分でやる」という主張と矛盾してないか……?

 はい、胸に手を当てて考えてみました。

うまくか、ダメか
肝心なのは「手の借り方」

 で、結論から言いますと、矛盾はしているようでしていない(笑) 。っていうか真面目な話、人様に自分の家事を「やっていただく」ことも、実は立派な家事なんじゃないかと思うのだ。

 何しろ私もこれからどんどんトシをとっていく。自分のことを自分で、ということは最後の最後まで大事にしたいが、いずれはそうもいかぬ時が来る。というか、トシをとらずとも人生は何が起きるかわからない。だから人の手を借りることは避けるべきことでも恥ずかしいことでもない。むしろ、うまく人の手を借りることは、死ぬまで自立して生きて行く上で必須のコトなんじゃないだろうか。

 肝心なのは「借り方」だ。うまく借りるか、ダメに借りるか。

 ダメに借りたら人生はダメになる。夫が妻に家事を丸投げするように「やってもらって当たり前」など考えていたら、気づけば周囲からは冷たい目で見られ、さらに自分自身も何もできない無力な人間になってしまって、一人になった途端「カネ」以外に頼るものはなくなってしまう。これは断固として避けるべきである。

 じゃあ「うまく」借りるってどういうことなのか?

 人に何かをしていただいたら感謝する、できる範囲でお返しをする。別に難しいことじゃない。でもそれがちゃんとできるかどうか。

 例えば肉屋でコロッケを買うのも、「お金を払って買ってやってるんだ」「お客様は神様だ」「商売なんだからウマいコロッケ作って当たり前」などと考えて買っていたら、家事を妻に丸投げしている夫となんら変わることはない。