で、それはかつての私である。お金があればなんでも手に入ると心底信じきっていた金満会社員時代の私は、惣菜を買ったり外食したりする時、お金を払って正当なサービスを受け取っているとしか考えたことがなかった。なのでありがたいとも思わなかったし、むしろ高いとか美味しくないとか文句ばかりであった。なぜスーパーの豆腐は90円なのに豆腐屋の豆腐は150円なのか?経営努力が足りないんじゃない?そんなふうに考えていたのである。

 でも会社を辞めて給料に頼れなくなり、外に頼る生活をしなきゃならなくなって初めて、私は人様に助けられて何とか生きているのだという感覚が急に湧いてきた。っていうか実際そうなので、あらゆることに「ありがたい」と思えるようになった。ただの買い物が、私の代わりに最高の揚げもん作ってくれて、あるいは私の代わりに最高の風呂を沸かしてくれて、あるいは朝早くから豆腐作ってくれて、つまりは私の家事の一部をやっていただいてめっちゃありがとうございます!といちいち思えるようになったのである。

 こうなると全ての行動が変わる。商品を受け取った時、自然に笑顔と「いつもありがとうございます」の言葉が出る。さらに慣れてくると、「いやーこれで今日のおかずは完璧!」とか「早く家に帰って食べたい」とか、相手が思わずニッコリするようなセリフも自然に出てくるようになった。つまりはお金にプラスして、自分なりの「お返し」をちゃんとするようになったのである。

 こうなってくると当然、店の人にも顔を覚えられて、先方からも最高の笑顔と親しみと世間話と時にはオマケが返ってくる。つまりは近所に知り合いがどんどこ増えるのである。

 自分のことは自分でやる。でも人はやっぱり一人では生きていくことはできないのだ。

 持ちつ持たれつ。お互い助け合って生きる。それは家族であっても家族じゃなくても必要なことだし大事なことなのだ。というか、それができることが本当の自立なのかもしれない。お互い自分のできることを精一杯やって、人を助け、助けられながら生きる。それを「つながり」というのだろう。そんなつながりが持てれば、たとえ一人暮らしでも最後の最後まで「自立して」生きることができるんじゃないだろうか。持ちつ持たれつ。助け合って生きる。人生100年時代の、それもまた「家事力」なんじゃないでしょうか。