借家暮らしで質素な食事
警備も手薄にした、戦前の首相
前述の通り、政治的な実績から言えば濱口雄幸は高い評価を得るかどうか疑問がある。しかし彼は“愚将”とは言われない。理由の一つには、濱口の私利私欲の無さが挙げられるのではなかろうか。謀略型の政治家・三木武吉は濱口のあまりの清廉さに、「あなたが政治家になったことは、どうしても理解しがたい」とまで言っている。
ずっと借家暮らしだった濱口が、ようやく自宅を持てたのは総理就任直前。雑然とした庭で趣向など一切ない。夕食は小魚に五勺(一合の半分)の酒程度。官邸でも、夏に冷房はもちろん扇風機も置かず、あるのは団扇(うちわ)だけ。
襲撃されたのは東京駅だが、緊縮財政で厳しい行政改革を行なっていた濱口は、自身の警備も手薄にした。しかも、首相などが利用する際にはホームに関係者以外入れないようにしていたのだが、濱口は「一般の人に迷惑がかかる」といってその措置をさせなかった。
「公人が公事に臨むや、終始一貫、純一無雑にして一点の私心をも交えない」(濱口雄幸『随想録』)を信条としていたのである。そういう高潔さが、我慢を強いる緊縮財政政策への国民の理解を深めた。
政治は結果である。しかし、濱口のひたむきな姿勢はその後の濱口個人の評価に大きな影響を与えている。いわば、人間としての姿勢が「愚将」たらしめない大事な点の一つになり得るのかもしれない。
安倍晋三元総理は、三たび政権を握るつもりがあったのではなかろうか。それゆえに、人望や能力の点で組織をまとめることができない、言い換えれば安倍氏に取って代わることができない、そういう中途半端な人材を派閥幹部に据えた。
だから今回の派閥裏金問題が起きたときに適切に対処できず、責任も取れない体たらくになった。安倍氏亡き後も“安倍派”と呼ばれたのは、後を継げるリーダーがいなかったことを明確に示している。
派閥幹部たちは「場所を得ていなかった」だけかもしれない。しかし、せめて人間的な高潔さを持っていてほしかった。そうすればあるいは、“愚将”の烙印を押されずに済んだかもしれない。