南雲忠一大将の指揮は
人事のせいでうまくいかなかった…⁉︎

「場を得ていない」という意味では、たとえば真珠湾攻撃やミッドウェー海戦で指揮に当たった、南雲忠一・海軍大将もまたその一人であろう。

 彼もまた「愚将」と言われることが多い。真珠湾攻撃では第二次攻撃隊を出さなかったとか、ミッドウェー海戦では爆装転換の指示ミスで惨敗した等々。しかし、どうも偏った見方がされている気がするのである(近年の研究ではいずれも評価が見直されつつある)。

 南雲は「水雷屋」であった。駆逐艦などで敵艦に、時には肉薄し魚雷を撃ち込む、魚雷攻撃の専門家である。その南雲が、航空母艦(航空機)を主体とする機動部隊の司令長官になる。平時ならまだしも、対米戦間近に、である。理由は、順送りの海軍人事。その欠点を補うべく、幕僚には航空戦の専門家たちを置いたが、それでも南雲の苦衷が察せられる。

 では、愚将を作らないためにはどうすればよいのか。

 やはり適材適所は重要である。その任にふさわしい人間を選ぶ。しかし選ばれる側は、命じられれば基本的にその役職に就く。では、当事者はどうすれば愚将とならずに済むのであろうか。

 たとえば人格的な高潔さは、重要ではないか。

 戦前、総理を務めた濱口雄幸。いかつい顔と不動心の塊のような人物ゆえに“ライオン宰相”とも呼ばれた。城山三郎は『男子の本懐』の中で濱口を高く評価し、一般にも名宰相の一人とされることが多いが、純粋に政治の実績でいえば疑問が残る。

 濱口内閣が行なった金解禁政策は、失敗している。緊縮財政を伴う金解禁は、経済的体力のあるときにやるべきものなのに、濱口は世界恐慌が起きて国内経済が疲弊しても金解禁政策を推進し続けた。結果、日本経済はどん底に落ちる。

 また、ロンドン軍縮条約を締結したことは大きな功績だが、このとき問題になった「統帥権」について、濱口は国会での憲法議論を避け続けた。「憲法論は答弁する必要はない」と言うのである。
 
 結局、濱口と蔵相の井上準之助は凶弾に倒れる。