日本海軍の”幻の戦果”が教えるリーダーの役割とは?「失敗を隠し続ける」が招く大惨事旧海軍司令壕の司令室 (写真はイメージです)Photo:PIXTA

歴史には数々の「失敗」がある。この真実を読み解くことで、時を経て繰り返されるビジネス上の失敗に向き合う連載「歴史失敗学」。第1回は、昭和19年に起こった日本海軍の「ウソの報告」に端を発する出来事を取り上げる。(作家・政治史研究家 瀧澤 中)

日本海軍始まって以来の大戦果?

 戦争では誤謬(ごびゅう)、つまり「誤り」が少ない方が勝つ、といわれる。相手のあることだから、誤謬が起きるのは仕方がない。しかし、「起こしてはいけない誤り」もある。

 昭和19(1944)年の台湾沖航空戦では、この「起こしてはいけない誤謬」が重なり、取り返しがつかない結果を招いた。大きな問題としては、第1に、大戦果が幻であったこと。第2に、戦果が誤報とわかってもそれを修正しないどころか、味方にすら真実を明かさなかったこと。

 第一の点から見ていこう。昭和19(1944)年10月。日本海軍は、劣勢を一気に挽回しようと、押し寄せるアメリカ機動部隊(航空母艦17隻、戦艦6隻など)を台湾沖で壊滅させようとした。
 
 5日間にわたった戦いの戦果は、とてつもないものだった。敵空母11隻撃沈、同8隻大破、戦艦2隻撃沈などなど。もし本当だとすれば真珠湾攻撃以来の、いや、日本海軍始まって以来の大戦果である。

 国民は沸き立った。国民だけではなく、陸海軍の首脳部も喜びに沸いた。うその代名詞として使われる「大本営発表」だが、この時は現場から上がってきた情報を素直に発表していたために、軍首脳ですらこれを信じたのである。

 大小艦艇合わせれば40隻以上の敵艦を撃沈もしくは撃破したという戦果は、現実にはどうであったのか。