成田修造「スタートアップは日本に残された唯一の希望」#1Photo:Diamond

史上最年少(当時)の25歳で上場企業の副社長として企業経営に携わり、現在は起業家、エンジェル投資家として活躍する成田修造さん。実は、若手論客として名高い米イエール大学助教授・成田悠輔さんの弟でもある。両親に頼れない家庭環境だったことから4歳上の兄に強く影響されたという成田さん。「これからの時代は、IT、ファイナンス、起業家精神の掛け算が重要になる」と兄から告げられたことで、考え、実践してきたこととは?(聞き手/ライター 正木伸城)

本連載は、スマートニュースとダイヤモンド・オンラインの特別共同企画です。

父が家族を捨て、母は半身不随に

――成田さんはかなり壮絶な家庭環境で育ったんですよね。

 僕が14歳の時に父が家に帰ってこなくなりました。家族を捨てたんですね。それを受け止め切れない母がすすり泣く中、「僕が変わらなければならない」と思ったことを覚えています。加えて、その母も脳動脈瘤の破裂で半身不随になった。以降は兄と僕で家事全般と母の介護をすることになりました。抱えていた家計の問題もさらに悪化して、状況的には苦しかったかもしれません。

――苦難に遭って、“腐る”ことはなかったんですか。

 なかったですね。何かに期待をすることがなかったので。つらいと思ったことも落ち込んだこともなく、それこそ父を恨んだりもしていません。この性格が生来のものなのか後天的なものかは分かりませんが、実はハングリー精神もなくて、だから「この苦しみを越えてはい上がってやろう」みたいな発想もしませんでした。

――すると、原動力は何だったのでしょうか。

 世の中にはすごい人たちがたくさんいます。そういった人たちに、自分はどれくらい近付けるかという好奇心です。同じ日本人でパナソニックとかソニーとかユニクロを創業した人がいる。それが自分にはできないとは思えなかった。

 ただ、それは自信があるとかではなくて、本当に興味本位なんです。できないとは限らないので、ちょっとやってみよう、みたいな。自分が本気でやりたいと思うもの、目標に出合えるまで、いろいろなものに触れ、経験を積みまくるしかないです。それが人生のファーストステップだと思う。