直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身やおすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
憎たらしいくらいに
狡猾な徳川家康
「関ヶ原の戦い」に勝利した家康は、1603年には征夷大将軍の座につき江戸幕府を開くのですが、わずか2年後には秀忠に将軍職を譲っています。
家康はさらに政権を盤石にするため、「大坂の陣」で豊臣家の滅亡を試みます。
大坂夏の陣を描く小説では、真田幸村が「家康の首さえ討ちとれば徳川家は瓦解する」みたいなセリフを口にする描写が多いのですが、あれは嘘です。
家康は自分が討ちとられるシチュエーションも想定していましたし、仮に討ち死にしても徳川家は盤石だと確信していたはずです。
家康の
絶対に勝てる戦い方
唯一、徳川にとどめを刺す方法は、家康と秀忠を一度の戦で両どりすることですが、それも家康には織り込み済み。
家康と秀忠は大きく離れ、両どりは絶対にできない布陣を敷いているのです。これでは家康と秀忠を同時に討つのは、ほぼ不可能です。
仮に、どちらかが討たれても江戸幕府は存続できます。つまり、家康は絶対に勝てる戦い方をしたのです。
関ヶ原の戦いを伝える良作
関ヶ原の戦いの模様を伝えてくれる作品には『関ヶ原』(司馬遼太郎 著)があります。
『決戦!関ヶ原』(講談社文庫)は、葉室麟先生や冲方丁先生といった、さまざまな作家が、この戦いに臨んだ武将たちをそれぞれ描いたアンソロジー作品です。
いろいろな目線を通じて、この戦いの実像が見えてくる良作です。
さらに、私が読んで面白かったものでいうと『島津奔る』(池宮彰一郎 著)という作品もあるのですが、残念ながら作者の盗作疑惑によって絶版・回収となっています。
作家としては非常に優れた作品を残していますし、私も中高時代に熱中して読んだ書き手の1人でしたから、ただただ残念という他ありません。
事業承継をうまく進めた
伊達政宗の父
戦国武将の承継問題に関しては、意外に知られていないですが、戦国の名武将と呼ばれる人たちの一代前の世代に才を発揮した人物が多く見られます。
たとえば、伊達政宗は有名な武将ですが、立派だったのは父の伊達輝宗です。実は伊達家は、政宗の祖父・曾祖父の代から三代にわたって父子の争いが続いていました。
輝宗は政宗に手厚い教育を施した上で、政宗が18歳のときに家督を譲っています。
伊達家が栄えた
早期の権限委譲
18歳というのは、当時でも相当早い権限移譲です。政宗の才能を認めていたこともあるでしょうが、家督争いを未然に防ぐ布石の意味合いも大きかったはずです。
結果的に輝宗は翌年に命を落としたものの、伊達家は有数の大名に上り詰めることができました。