桐島聡の死去で思い起こす
産経新聞の歴史的なスクープ
1970年代に連続企業爆破事件を起こした「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして指名手配され、49年間逃亡を続けた桐島聡が、死の間際に病床で名乗りを上げた事件は、メディアを大きく騒がせました。
テロリストといえば、あさま山荘事件や、よど号ハイジャック事件などの昔の映像がテレビでよく流されますが、あの時代に生きた世代にとっては一番不気味なのが、「狼」「さそり」「大地の牙」の3つのグループに分かれたこの団体でした。なにしろ彼らの無差別テロで多くの人間が死傷した上、デモなど表立っての活動がなく正体不明なのですから、本当に怖い存在だったのです。
メディアは桐島の逃亡先や、どんな心境で亡くなったかを一斉に報じましたが、実はあの事件で日本の新聞紙上歴史的なスクープがあったことは、ほとんど報じていません。
なんと、1975年5月19日の犯人グループ逮捕の日に、「爆破犯数人に逮捕状」「幹部は元都立大生 27歳」などと、産経新聞が詳しく朝刊の一面で抜いていたのです。
私は、文藝春秋の出版局長時代、大スクープを連発した当時の産経新聞社会部長・福井惇氏の著書『狼・さそり・大地の牙』を担当しました。また福井氏は、私の事件取材の恩師ともいうべき存在でした。
今のメディアがいかに情けないか、努力不足か、覚悟に欠けるか――。この本を読むとすべてがわかると思います。
当時、産経新聞の記者によるテロ取材がいかにすごかったか、一つエピソードを挙げましょう。1971年8月、朝霞陸上自衛隊駐屯地で自衛官が殺害されました(朝霞自衛官殺害事件)。赤衛軍と名乗る新左翼グループから犯行声明が出ました。この事件の犯人をスクープしたのも産経新聞でした。