ここから、産経新聞福井チームの猛烈な頑張りが始まります。それは後述するとして、福井氏はどんな人だったのでしょう。私が入社した当時(1978年)の『週刊文春』は、取材力も人脈もない情けない雑誌でした。警察官にも検察官にも政治家にも直接取材ができる記者などいなくて、何か事件があると担当の新聞記者に聞いて回ります。
特に、文春編集部が頼ったのが福井社会部長でした。福井氏は、週刊誌だからと小馬鹿にしない優しい人でした。電話でお願いすると、すぐに隣にある別の電話で、その事件の担当記者を呼び出し、「俺のダチ公がよう、文春にいて、あの事件取材して困ってるんだ。手伝ってやってくれ」と、いつもの低音のかすれ声で電話してくれるのです。どれだけ助かったことでしょう。
そして、お礼の席を設けると必ず、後輩の錚々たる記者たちを連れてきてくれます。彼らがしてくれる過去の事件取材の話は、ジャーナリズム未経験の我々にとって、どれほど役に立ったかわかりません。
週刊誌にも分け隔てなく接する人柄
名物記者に教わった「取材の原点」
一度、こんな質問をしたことがあります。
「被害者家族は悲嘆にくれています。そんなとき、記者が取材するってむごくないですか。かなり迷うのではありませんか?」
福井氏は少し考えてから、こう答えてくれました。
「そりゃあ、悩むさ。実際、事件にあったばかりの被害者の家族に話を聞くなんて非道な人間だとマスコミのことを批判したり、新聞記者の中にも、そういうやつはいる。しかし、そんな新聞記者はロクな仕事はできない。被害者の家族の無念の思いを聞き出して、怒りを共有しない限り、犯人をみつけよう、警察の怠慢は許さない、そんな気持ちは出てこないんですよ」