松本人志さんから性的被害を受けたという女性の証言を週刊文春が報じた問題をめぐって、日本文化史研究家のパオロ・マッツァリーノさんのブログが注目を集めている。
「松本人志さんの罪についての考察と提案」と題した論考は、X(旧Twitter)で1万6000以上の「いいね」を集め、「ぐうの音も出ない」「完璧すぎる論破」といった反響が広がっている。パオロさんの公式ブログから、当該記事を全文転載する。
まつもtoジャニー
ジャニー喜多川さんは、いい人でした。多くの芸能人を育て、テレビ界に貢献した功労者であり、育てられた芸能人にとっては恩人です。
でも、ジャニーさんは犯罪者だったのです。
24時間、つねに犯罪者でいる人などいません。犯罪者としての顔は、個人が持つ多くの顔のうちのひとつにすぎないのです。犯罪をしてるとき以外は、何食わぬ顔で暮らしてます。それはマジメな職業人の顔であったり、優しい父親・母親の顔だったり、情にあつい先輩の顔だったりします。
でも、そういう「いい人」が、犯罪者の顔も持ってたりするんです。
ジャニーズ問題から我々が学ばねばならないもっとも重要な教訓、それは、予断をもって犯罪告発の声を封じてはならない、ということです。
いい人は犯罪をするわけがない。社会的地位の高い人が犯罪者であるはずがない。無名の人間が犯罪を告発するのは売名行為に決まってる。週刊誌なんてウソばかり書いてるのだから、どうせ今度もウソだろ。
これらすべてが、根拠のない予断です。こうした予断によってジャニーさんを信じ、犯罪の告発を黙殺したことで、テレビ局はジャニーさんがシロであるという既成事実を作ってしまい、自分らがそれに縛られることになりました。ジャニーさん、あんた間違ってるよ、あんた頭おかしいよ、といえる人がテレビ界に誰もいなくなってしまったこと、それが問題をこじらせてしまったのです。
犯罪の告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。その上で、双方の主張内容を比較検討し、どちらが正しいのかを考える。これが法治国家における正しい手順です。
たとえ99回虚偽の訴えが続いたとしても、100回目の訴えが虚偽であるとはかぎりません。毎回、訴えは公正に検討され続けなければなりません。
どうせまたウソだろ、なんて予断をもって正当な告発を却下してしまったらどうなりますか。犯罪者が野放しになるんです。
冤罪がなぜ重大な問題なのかというと、真犯人が野放しにされ、犯行を繰り返すおそれがあるからです。犯罪被害の告発が事実なのに黙殺してしまった場合も、真犯人が野放しになり、犯行を繰り返すかもしれないという、冤罪とまったく同じ状況が作られます。
だから犯罪被害の告発を軽々しく否定してはいけないのです。その失敗を教えてくれたのがジャニーズ問題であり、テレビ局はそれを学んだとばかり思っていたのですが……。
最近の松本人志さん性加害疑惑の報じかたを見てると、テレビ局がまた同じ間違いを繰り返そうとしてるように見えるんです。