「時価」は、日だけでなく、人によっても払う値段が違う?

 高級すし店ならではの慣習に「時価」がある。会計をするまで支払う金額が分からないというのは不安になるかもしれないが、そもそもなぜ「時価」という言い方、値付けをするのだろうか?

 以前、テレビ番組で、管理職を装った年配の男性と、学生のような身なりの若い男性が、「同じ『時価』の高級すし店に行ったら、支払金額に差がつくのか?」という検証をしていた。別日の同じ時間帯に、“時価”としか書かれていないすし店を訪問し、まったく同じ順番で数種類のネタを食べていく企画だった。

 結果は、支払う金額の結果は同じではなく、年配の会社員の方が高かった。解説では、学生が安かった理由として、「今後も来てほしい“投資”があったのでは」と説明していた。もし筆者が解説者であれば、それだけでなく、「提供していた部位が違うのでは」と説明するだろう。例えば同じ「タイ」を所望されたとしても、会社員には熟成した濃厚な部位を、学生には仕入れたてで味が淡泊で軽く食べやすいところを出す、といったことをするのだ。

 そもそも、鮮魚の仕入れ値は、毎日の競りと入札、相対取引によって変わる。取引量が少ないもの、不漁など品薄で流通量が不足しているとき、また年末年始や時期的に入らないものは、価格が高騰する。同じ魚でもタイミングで値段が変わることは珍しくない。

 また、夜2万円コースの高級すし店が、昼のランチでは3000円で食べられるのでおトクだ、といった取り上げ方をするメディアは少なくない。さらには、「夜にも来店してほしいから、昼は赤字覚悟です」なんてコメントをする店主さえいる。しかし、昼にランチ需要でやってきた近隣の社会人は、夜には来店しないことを大抵の高級すし店は知っている。夜は接待需要が多く、ほとんどが領収書をもらう客である。昼のように「自分が好きで食べたいから来た」という客は、夜にはほとんどいないのだ。それならば、なぜ高級すし店のランチは安いのか。

 例えば、マグロは大きなブロックで仕入れる。その中には、血合いや骨周り、筋が当たる部位もあるが、そういう部分は取り除く。また、切り口がきれいでないもの、握りの形に包丁を入れた際の切れ端なども夜には使えない、そういう部分を、昼のランチに回すのだ。ばら寿司(ちらし寿司)の細切れなどは、その最たるものだし、丼ものには厚みがなく薄切りの魚が混じっているのも、同じ理由だ。このように、お客ごとに合ったサービスを提供することも、“時価”の意味になる。