端午の節句の5月5日は、中国の湖南省北東部の川、汨羅江に身を投げた英雄、屈原の霊を慰める日だった。投身後、屈原の姉が弟を弔うために川に向かってちまきを投げ入れた。ちまきには霊を慰める力、霊を祀る力があるとされるからだ。
ちまきはもち米粉、くず粉などで作るが、それを笹や真菰などの葉で巻き、いぐさでしばって蒸す。それを徳川時代、9代将軍家重の頃に端午の節句に食すようになった。柏の葉は新芽が育つまで古い葉っぱが落ちないことから子孫繁栄、つまり家系が途切れないという縁起をかついだのだ。
そんな端午の節句を祝う日の歌としてなじみ深い「こいのぼり」は、よく知られた歌がふたつある。ひとつは、「甍の波と雲の波」と歌われる「鯉のぼり」。そして、「やねよりたかい、こいのぼり」である。
講演会などに出向くと、こんな質問がよくくる。「どうしてこの歌にはお父さんと子どもたちは出てくるのに、お母さんは出てこないのですか?」。
確かに、「大きなまごいはお父さん、小さいひごいは子どもたち」と歌ったあと、「おもしろそうに、およいでる」と終わってしまう。お母さんが出てこないのが不思議といえば不思議なのである。
実はこの行事、男の子の祭りとされているが、実際は女性が小屋にこもって田んぼの神にその年の豊作を願うという女の祭りだったというのである。昔の暦でいけば5月5日は、今でいう6月、梅雨入りの季節である。
この時期の雨量によって、秋の稲の収穫が左右される。実に梅雨は大切なのだ。
女性が農耕の神を祀る風習は弥生時代からというから、稲作の広まりとともに始まったとされる。卑弥呼がこの風習を始めたともされている。