そのため農村の女性たちは一日、集落の小屋や神社の拝殿などに集まり祈りを捧げ、神事のあとに直会とよばれる神様との、今でいう食事会、宴会でご馳走や酒を飲み、楽しみながらも朝がくるまで、その場にいることになっていた。

 言い換えれば年に一度の夫や子、舅や姑から解放される日だったとも解すことができる。

 小屋の玄関口には魔除けの力を持つとされるよもぎや菖蒲が飾られる。よもぎも菖蒲も香りが強い。強烈な匂いは悪霊や鬼退治にはうってつけだと信じられていた。

 それだけではなく、菖蒲には実際にはアサロンやオイゲノールといった精油成分が含まれているため、これからやってくる暑い夏も健康に過ごせるのだ。昔の人はそうしたことも知っていたのだ。

 さらに神様が天から下りてくる目印としてのぼりも立てた。それがこいのぼりに変じていった。

 これも中国の話からきている。「登竜門」という言葉をよく聞く。「あの番組での優勝が、人気スターへの登竜門だ」「あの賞を受賞することが文壇への登竜門だ」などなど。登龍門とは、成功へといたる難しい関門を突破することだ。

 中国の歴史書『後漢書』の「李膺伝」に中国の黄河の上流に「竜門」と呼ばれる激流があり、その下に多くの鯉が集まるという話がある。その鯉のほとんどは急流を登れないのだが、もし登ることができた鯉は竜になれるとされているのだ。

 ここから男の子の出世を祈願するため、神様の目印だったのぼりが、こいのぼりへと変わっていったのだった。さらに菖蒲を尚武(しょうぶ)、つまり軍事を用いるという意味にとったり、勝負(しょうぶ)に引っ掛けることで、武家の男の祭りになっていく。

 しかしこの日は元来、女性の日だった。だからこそ「こいのぼり」の歌にはお母さんがいないのだ。一日の休息を経て明日からは田植えが始まるのだ。翌日からが、女たちの出番なのである。

 祝日法によると「こどもの日」は、子どもの人格を重んじ、幸福をはかるとともに、母に感謝する日と定めている。子どもを生んでくれた母親に感謝する日と定められているのだ。

 端午の節句のお母さんは、いないのではなく、しっかり主役なのである。